源氏の君は、落ち着いてお寝みにもなれず、つまらないひとり寝かとお思いになると、お目が冴えて、この部屋の北側の襖の向こう側に人の気配がするのは、もしや離れではなくあそこに、さっきの噂の人が隠れているのではないか。それにしても可哀そうな女よと、好奇心がそそらて、そっと起き出し、立ち聞きをなさいます。さっきの少年が、 「もしもし、お姉さまはどこにいらっしゃるの」 とかすれた声で、可愛らしく言っています。 「ここに寝ていますよ。お客様はもうお寝みになられたかしら、どんなに御座所に近いかと思っていたけれど、割合離れているようね」 と答えています。もう寝ていた声のはきはきしないのが、少年の声とよく似ているので、姉だなとお聞きになります。 「廂
の間ま にお寝みになっていらっしゃいます。噂に高い源氏の君のお姿を拝見したけれど、ほんとにおきれいですばらしかった」 と、ひそひそ声で言っています。 「昼間だったら、わたしもこっそり覗いて拝見するのだけれど」 と眠たそうに言って、夜具に顔をひき入れたような気配がします。じれったい、もっともっと熱心に自分の話を聞けばいいのにと、源氏の君はもの足りなくお思いになります。弟は、 「わたしは廂の間で寝よう。ああ、暗い」 と言って、燈火を掻き立てなどしているのでしょう。女君は、この襖のすぐ斜め向こうのあたりに寝ている様子です。 「中将ちゅうじょう
の君きみ はどこにいるのかしら、側に人気ひとけ
のないような気がして、何だか怖いわ」 と言いますと、長押なげし
の下の廂の間に寝ている女房たちが、 「中将の君は離れにお湯を使いにまいりましたが、 『しぐもどってまいります』 と言っておりました」 と返事をしています。 皆、寝静まった気配なので、源氏の君が襖の掛金をためしに引き上げてごらんになると、向こう側からは錠がかけてありませんでした。そっと入っていくと、几帳を襖口に立ててあって、ほの暗い燈火に目をお凝らしになりますと、唐櫃からびつ
のような物をいくつか置いてあって、乱雑に散らかっています。その中を分け入って女の気配のするあたりへ忍んでいらっしゃると、たいそう小柄な感じの女がただ一人、寝ております。源氏の君はなんとなく気がとがめながらも、女のかぶっている着物をそっと押しのけられました。女はその時まで、呼んでいた女房の中将の君が、戻って来たとばかり勘違いしています。 「中将をお呼びでしたから、近衛の中将のわたしが参りました。人知れずあなたをお慕いしていた思いが通じたかと思いまして」 と、源氏の君がおっしゃるのを、女はとっさに何が起こったやらわけもわからず、物もの
の怪け にでも襲われたような気持がして、 「あ」 と怯えた声をたてましたが、顔に源氏の君のお召物の袖が掛っていて、声にならないのでした。
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