いつか式部卿の宮みや
の姫君に、朝顔の花をお贈りになった時の、源氏の君のお手紙のお歌などを、少し言葉を間違えて話し合っているのも聞こえました。 さも気楽そうにうちくつろいで、うろ覚えの人の歌などを軽々しく言いちらしているのを見ると、どうせこんな女房たちの女主人なら、逢えばがっかりするのが落ちだろうとお思いになります。 紀伊の守が出て来て、軒先の燈籠を懸け加えたり、燈火を明るくかき立てたりそておいて、お菓子だけをまずさしあげました。源氏の君が、 「ところで、
『とばり帳』 の支度はどうなっているのかな、そちらの方の用意もなければ、手落ちな接待だろう」 と冗談めかしておっしゃいます。 「とばり帳」 とは、催馬楽さいばら
に <我家わいへん は 帷帳とばりちょう
も 垂れたるを 大君来ませ 婿にせむ 御肴みさかな
に 何よけむ 鮑あはび 栄螺さだお
か 石陰子か せ よけむ 鮑
栄螺か 石陰子よけむ> と謡われているのをひいて、寝室に女の用意は出来ているのかと問われたのです。紀伊の守は、やはり同じ歌から、 「さて、何貝がお肴にお好みかとお尋ねも出来ないような、何ともはや、不調法者でございまして」 と、恐縮して坐っています。 箸近な御座所でうたた寝のようにお寝みになられましたので、お供の人々も静かになりました。 その邸には、紀伊の守の可愛らしい子供たちがいました。中には殿上童でんじょうわらわとして、源氏の君がすでに見慣れていらっしゃる者もおります。そのなかに伊予の介の先妻の子もいます。大勢いる中に、たいそう上品な様子の十二、三ぐらいの少年がいます。どれが誰の子かなどとお聞きになりますと、紀伊の守が、 「この子は亡くなりました衛門えもん
の督かみ の末の子でございまして、たいそう父親が可愛がっておりましたのに、幼い時に父に先だたれました。この子の姉が父の後妻になりました縁で、こちらに頼って来て居ります。学問などもよく出来そうな子で、人柄もよさそうなので、そのうち殿上童にでもと望んでおりますが、後見もなくて、すんなりとは事が運びそうにもまいりません」 と、申し上げます。 「可哀そうに、するとこの子の姉が、そなたの継母に当るのか」 「さようでございます」 「不似合いな若い母を持ったものだね。その人のことは帝もお聞きになっていられたらしく
『たしか衛門の督が娘を宮仕えさせたいと、言葉の端に洩らしていたが、あの娘はその後どうしただろう』 と、いつかお聞きになっていらっしゃいましたよ。男女の仲とは分からないものだね」 と、ひどく老成ぶったお口をきかれます。 「思いがけない縁で、父のもとにまいったのでございます。全く男女の仲というものはこうしたものでして、今も昔も、どうなるか決まっておりません。そういうなかでも女の運命というものは浮き草のようにただよい、哀れなものでございます」 など、紀伊の守は申し上げます。 「伊予の介は、大切に奉仕しているのか。主君のようにあがめているだろうね」 「それは勿論、自分ひとりの御主君と思ってあがめ仕えているようでございます。その様子を年甲斐もなく好色がましいと、わたしはじめ皆々不承知なのです」 などと申し上げます。 「そうはいっても、そなたたちのように、丁度似合いの当世風の若い者などに、妻を譲るものかね。伊予の介はあれでなかなか色気もある伊達男だもの」 などとお話なさった後で、 「ところで、その人たちは今、どこにいるの」 とお聞きのなります。 「皆、離れに下がらせた筈ですが、残った者もいるかもしれません」 と申し上げます。酔いがまわって、お供の人々は、皆、縁に寝てひっそりしてきました。
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