〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/24 (火) 

帚 木 (十八)

いつか式部卿しきぶきょうみや の姫君に、朝顔の花をお贈りになった時の、源氏の君のお手紙のお歌などを、少し言葉を間違えて話し合っているのも聞こえました。
さも気楽そうにうちくつろいで、うろ覚えの人の歌などを軽々しく言いちらしているのを見ると、どうせこんな女房たちの女主人なら、逢えばがっかりするのが落ちだろうとお思いになります。
紀伊の守が出て来て、軒先の燈籠を懸け加えたり、燈火を明るくかき立てたりそておいて、お菓子だけをまずさしあげました。源氏の君が、
「ところで、 『とばり帳』 の支度はどうなっているのかな、そちらの方の用意もなければ、手落ちな接待だろう」
と冗談めかしておっしゃいます。 「とばり帳」 とは、催馬楽さいばら に <我家わいへん帷帳とばりちょう も 垂れたるを 大君来ませ 婿にせむ 御肴みさかな に 何よけむ あはび 栄螺さだお石陰子か せ よけむ 鮑 栄螺か 石陰子よけむ> と謡われているのをひいて、寝室に女の用意は出来ているのかと問われたのです。紀伊の守は、やはり同じ歌から、
「さて、何貝がお肴にお好みかとお尋ねも出来ないような、何ともはや、不調法者でございまして」
と、恐縮して坐っています。
箸近な御座所でうたた寝のようにお寝みになられましたので、お供の人々も静かになりました。
その邸には、紀伊の守の可愛らしい子供たちがいました。中には殿上童でんじょうわらわとして、源氏の君がすでに見慣れていらっしゃる者もおります。そのなかに伊予の介の先妻の子もいます。大勢いる中に、たいそう上品な様子の十二、三ぐらいの少年がいます。どれが誰の子かなどとお聞きになりますと、紀伊の守が、
「この子は亡くなりました衛門えもんかみ の末の子でございまして、たいそう父親が可愛がっておりましたのに、幼い時に父に先だたれました。この子の姉が父の後妻になりました縁で、こちらに頼って来て居ります。学問などもよく出来そうな子で、人柄もよさそうなので、そのうち殿上童にでもと望んでおりますが、後見もなくて、すんなりとは事が運びそうにもまいりません」
と、申し上げます。
「可哀そうに、するとこの子の姉が、そなたの継母に当るのか」
「さようでございます」
「不似合いな若い母を持ったものだね。その人のことは帝もお聞きになっていられたらしく 『たしか衛門の督が娘を宮仕えさせたいと、言葉の端に洩らしていたが、あの娘はその後どうしただろう』 と、いつかお聞きになっていらっしゃいましたよ。男女の仲とは分からないものだね」
と、ひどく老成ぶったお口をきかれます。
「思いがけない縁で、父のもとにまいったのでございます。全く男女の仲というものはこうしたものでして、今も昔も、どうなるか決まっておりません。そういうなかでも女の運命というものは浮き草のようにただよい、哀れなものでございます」
など、紀伊の守は申し上げます。
「伊予の介は、大切に奉仕しているのか。主君のようにあがめているだろうね」
「それは勿論、自分ひとりの御主君と思ってあがめ仕えているようでございます。その様子を年甲斐もなく好色がましいと、わたしはじめ皆々不承知なのです」
などと申し上げます。
「そうはいっても、そなたたちのように、丁度似合いの当世風の若い者などに、妻を譲るものかね。伊予の介はあれでなかなか色気もある伊達男だもの」
などとお話なさった後で、
「ところで、その人たちは今、どこにいるの」
とお聞きのなります。
「皆、離れに下がらせた筈ですが、残った者もいるかもしれません」
と申し上げます。酔いがまわって、お供の人々は、皆、縁に寝てひっそりしてきました。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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