〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/23 (月) 

帚 木 (十七)

紀伊の守にその件を伝えますと、かしこま ってお受けはしたものの、お前を下がってから、
「実は、父の伊予いよすけ の家に物忌ものい みがありまして、折あしくあちらの女たちが私方にまいっております。狭い家なので失礼なことがなければよろしいのですが」
と、女房たちに話しているのを源氏の君もお聞きになって、
「その、女が多いというのが嬉しいじゃないか、女気おんなけ のない旅寝は淋しくてやりきれないだろう。その女たちの几帳の後ろにでも寝かせてもらおう」
とおっしゃいます。女房たちも、
「まあ、丁度適当なお泊まり場所かもしれませんわ」
といい、使いの者を走らせました。
つぃそうお忍びで、それほど大げさでないところへ、急いでお出かけになりましたので、そのことを左大臣にもお知らせしないまま、お供にもごく気の置けない者だけを連れていかれました。
「あんまり急のお成りのことで」
と、紀伊の守はこぼしますが、誰も気にしません。とりあえず寝殿の東側をきれいに空けさせて、仮の御座所ござしょ を設けてありました。
遣水やりみず のつくりなど、それなりになかなか趣向をこらしています。田舎家めいた柴垣などをめぐらし、前庭の花や草木も気を配って植えてあります。夜風が涼しく吹き、そこはかとなく虫の が聞こえ、螢がしきりに飛び乱れて、味わい深い雰囲気でした。
渡り廊下の下から湧き出た泉を見下ろしながら、人々は酒を酌み交しました。主人の紀伊の守は酒の肴の支度に、せかせかと体を弾ませながら、あわてふためいて走り回っています。その間、源氏に君 は庭のあたりをゆったりとご覧になりながら、
「あの左馬の頭が中流としてしきりに話していたのは、たぶんこれくらいの階級のことなのだろう」
と、お思い出しになります。
伊予の介の後妻は、娘時代、気位の高い女だと評判だったのをお耳にしておられましたので、興味をそそらてて聞き耳をたてていらっしゃいます。どうやらこの寝殿の西の方の間に、人の気配がするようです。きぬ ずれの音がさらさらとして、若い女の声など快く耳につきます。さすがに源氏に君 に遠慮して、ひそやかに忍び笑いをする様子が、ことさらとりつくろったようにうかがえます。
格子戸を上げてあったのを、紀伊の守が、
「不用意な」
と叱って下してしまったので、わずかに漏れる灯の火影が襖障子ふすましょうじ の上からほのかに射すあたりに、そっとしのび寄られて、女たちが見えるかとお思いになりましたけれども、どこにも隙間がありません。ただ襖の向こうの女たちの声だけをしばらくお聞きになりました。女たちはここからすぐ近くの母屋に、集まっているのでしょう。ヒソヒソ話しに耳をすませば、どうやら自分のことらしいのです。
「いあかにも真面目ぶられて、まだお若いのに、早々といいご身分の姫君と御結婚なさるなんて、ほんとにお淋しいことでしょうね」
「でも、人目につかない適当な所には、結構、しげしげお忍びでお通いになっていらっしゃるそうよ」
などと、言うのをお聞きになると、胸深く秘めていらっしゃることばかりが気にかかっているので、まずどきりとなっさいます。こんな折でも、女房たちがあのお方との秘め事を口にすべらすのを聞きつけたなら、どうしようかとはらはらなさいます。その後、話は格別のこともなかったので、途中で盗み聞きをおやめになりました。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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