〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/23 (月) 

帚 木 (十六)

ようやく、今日は雨もやみ、天気も持ち直しました。こう宮中にばかり閉じこもっていては、左大臣がさぞ心配していられるだろうとお気の毒なので、源氏の君は今日は左大臣邸へご退出になりました。
そちらではお邸の有り様も、女君のお人柄も、すっきりと上品で、すべてがきちんと整って乱れたところなどありません。やはりこの方こそは、昨夜左馬の頭たちが女の品定めをした中で、捨てがたい女の例として選び出した、誠実で信頼のおける人に当るのだろう、とお思いになります。
それでも、女君のあまりにも端然とした御様子が、うち解けにくく、気がひけるくらい取り澄ましていらっしゃるのが、もの足りないのでした。
自然、中納言ちゅうなごんの君や中務なかつかさ などといった、とりわけ美しい若い女房たちを相手に、色っぽい冗談などをおっしゃったりなさるのです。
暑さにのため、お召物もしどけなく着くずしていらっしゃるお姿を、女房たちは、なんとまあお美しいと、惚れ惚れ見とれているのでした。
左大臣もこちらへいらっしゃって、源氏の君がすっかりくつろいでいらっしゃるのを御覧になり、御几帳みきちょう を隔ててお坐りになりお話なさいます。源氏の君は、
「この暑いのに、やれやれ」
と、迷惑そうなお顔をなさるので、女房たちはくすくす笑います。
「しいっ、静かに」
と女房たちを制しながら、御自身は脇息にゆったりとよろかかって、いかにもお気楽そうな御様子です。
暗くなる頃に、女房が、
「今夜は、こちらは内裏から見ると陰陽道おんみょうどう中神なかがみ がおられる悪い方角に当っております。お泊りになるのには方角が悪うございました」
とい報せに来ました。
「たしかにそうでしたわ、いつもならお避けになる方角でしたわ」
と女房が言います。源氏の君は、
「それじゃ二条の院だって同じ方向に当っているからだめだし、さて、どこへ方違かたたが えしたものか、疲れて気分も悪いのに」
とおしゃって、そのままおやす みになってしまわれます。
「方違えなさらないなんて、とんでもございませんわ」
と、女房たちが口々に申しあげます。
「親しくお出入しているあの紀伊きいかみ が、中川のあたりの家に、この頃庭へ川水などを き入れて、涼しそうにしております」
と誰かが申しあげますと、
「そてはいい話だね、気分がすぐれないから、牛車ぎっしゃ ごと引き入れられる気楽なところがいい」
とおっしゃいます。こっそりお忍びでお通いになる女のところに、方違えにふさわしい場所はいくらもおありでしょうけれど、久々に左大臣邸へお越しになられたのに、ことさら方角の悪い日を選ばれて、それを口実に、すぐまたほかの女の所へいらっしゃるのだろうなど、左大臣がお取りになってはと、気がねをなさっていらっしゃるのでしょう。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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