〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/23 (月) 

帚 木 (十四)

「さて、長い間、訪ねもせずにおりまして、ふとしたついでに立ち寄ってみましたら、いつものくつろげる部屋には入れてくれず、おもしろくもなく几帳越しになどものを言います。嫉いてすねているのかと、馬鹿々々しくもあり、もすそうなら別れるのにいい潮時だとも思いましたが、どうしてごうして、この賢女殿、そんなに軽率に嫉妬やきもち など焼くような女ではありません。
男女の仲をお見通しで、少々御無沙汰した位で、恨みなどいたしません。のみならず、声も張り上げてせわしない口調で、
『幾月も前から思い風邪にかかっておりますす。あまり高熱で苦しいので、にんにくを服用しています。ひどく悪臭を放ちますので、お逢いできません。直接お顔を合わざずとも、しかるべき御用の節は、ここで承りましょう』
と、いかにも殊勝らしく理路整然というのです。これにいったいどんな返事が出来ましょうか。
『了解しました』
とだけ言って立ち去ろうとしますと、さすがに淋しかったのか、
『この悪臭が消えた頃、お越し下さいませ』
と大声をはりあげます。そのまま聞き捨てにするのも可哀そうだし、かといって少しの間もぐずぐずできる場合でもありません。何しろ、その間もにんにくの悪臭がぷんぷん鼻をついてくるのがやりきれなくて、逃げ腰になり、

ささがにの ふるまひしるき 夕暮れに ひるま過ぐせと 言ふがあやなさ
(恋人の訪れるしるしという 蜘蛛くも の巣の張る夕暮なのに 訪ねても来ずひとりで 昼間を過ごせとは 何とつれないことを)
『いったいこれはどういうわけですか』
と言いも終わらず、走り出てしまいましたが、背後から、
逢ふことの 夜をし隔ててぬ 仲ならば ひるまも何か まばゆからまし
(逢うために 夜離よが れもしない しっくりした仲なら 昼間逢っても 何恥ずかしかろう)
間髪いれず返歌をよこしましたのは、さすがでございました」
と、もったいぶって言いますので、ほかの三人は呆れかえって、嘘に決まっているとお笑いになります。
「どこにそんな女がいるものか、そんな女といるくらいなら、いっそ鬼とでもさし向かいでいた方がましさ。ああ、気味が悪い」
と、爪弾つまはじ きして、式部の丞を、
「も少し、ましな話しをしたらどうだ」
と、責められるのですが、
「はて、これ以上の珍談がございましょうか」
と、すましています。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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