〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/22 (日) 

帚 木 (十二)

吹きまじる 花はいづれと わかねども なほ常夏とこなつに しくものぞなき
(秋の花が咲き競って どれが美しいとも決めかねる それでもわたしはただひとつ 常夏のお前ばかりが 好きなのさ)
などと歌い返して、撫子の子供のことはさしおいて、<咲しよりいも とわが る常夏の花> という古歌の愛妻家の心で、まず母親の機嫌を取り結びました。女は、
うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり
(あなたを迎える床も それを払うわたしの袖も 涙に濡れてしめっているのに 嵐まで吹きそって 悲しい秋になりました)

と、さりげなく言いゆくろって、心の底から恨んでいるようにも見えませんし、ふと涙をこぼしても、とても恥かしそうにとりつくろって隠そうとします。わたしのことで心の底では苦しんでいるのにそれを悟られるのは、この上なくつらく思っている様子なので、わたしの方はまあ大したこともないだろうと気楽に考えて、その後も訪ねてやらず捨てておきました。
すると女は突然姿をくらまして、行方不明になってしまったのです。もしまだ生きていたら冷たい世間を落ちぶれて流浪していることだろう。
私が愛していた頃に、うるさいほど付きまとうように女がしてくれていたら、みすみすこんなふうに行方知れずにさせるようなことはしなかっただろうに。
あんなひどい途絶え方をせず、妻の一人として、末長く愛することも出来ただろうに、あの撫子が可愛かったので、私は何とかして尋ね出したいと思うのですが、今でもまったく消息がわかりません。これこそ、さっき話に出た頼りない女の例でしょうね。女が表面はさりげない顔をしながら、内心わたしの冷たさを恨んでいたとも知らずに、わたしの方では、心の奥でいとしいとも思い続けていたのでしたが、無益な片想いだったわけですよ。
この頃、ようよう忘れかけたのですが、女のほうではわたしを忘れることが出来ないで、折々は、ふとり自分の胸を焦がす夕べもあることだろう。
これこそ、末長く何時までも添い遂げられない、頼りない男女の仲というものですよ。だからあの嫉きもち焼きのやかましやも、思い出としては忘れ難いだろうが、面と向かえばうるさくて、悪くすると、飽いて嫌気がさすこともあるでしょう。琴の上手な才女にしても、浮気に罪は重いだろう。
常夏の女の頼りないのも、他に男がいるのではないかとこちらに疑い心がおきることもあるので、結局、どの女が一番よいとも決められない。それが男女の仲というものだろうか。
ただこればかり、今までの話のように、とりどりに女を並べてみても優劣がつけかねる。こういう女たちの、いいところだけを取り具えていて、欠点は持っていないというような理想の女は、いったいどこにいるのだろうね。吉祥天女きっしょうてんにょ に思いをかけて妻にするのも、抹香臭く、堅苦しくて、なんともはや、困ったものだろう」
というので、みな笑ってしまいました。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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