〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/21 (土) 

帚 木 (十一)

「わたしは、ひとつ馬鹿な男の話しをしましょう」
と言って今度は頭の中将が、話しだしました。
「ごく内密にして通っていた女が、長つづきしてもいいほど気に入りました。
馴染なじ みが深くなるにつれて、女に可愛さも増して、ますます惹かれていったので、とぎれがちだけれど通いつづけていました。
そうなると、女の方でも、わたしを頼りにする様子が見えてきました。それでも浮気はやめられないので、女は恨めしく思うこともあるだろうと、我ながら思いやる折々もあったのですが、気にしないふりを装って、女は長い間私の通う日が途絶えても、怪しむわけでもなく、ただもう朝に夕に、心からわたしに仕えようとつとめているのがよくわかって、不憫だったので、行く末長く私を頼りにするようになど、慰めたりしていました。
女は親もなく、心細い境遇なので、なにかにつけてわたしを頼りにしている様子が見えました。
それがとてもいじらしかったのでっす。
ところが、女のおっとりと優しいのをいいことにして、久しく訪ねてやらないでいたら、わたしの妻の方から、思いやりのないひどい脅迫がましいことを、人を介していってやったらしいのです。すべては後で聞いたことでした。
こちらはそんないやな目に遭っていようとは露知らず、心ではいつも忘れずにいながら手紙も出してやらず、長い間放っておいたものです。
女はすっかり気落ちして、心細くなったのでしょう。わたしたひの間に幼い子供があったことから思案にくれて、撫子なでしこ の花を添えた手紙を寄こしました」
と言いながら、頭の中将は涙ぐんでいます。源氏の君が、
「それで、その手紙には何と」
とお訊ききになりますと、
「いえ、まあ、格別のこともありませんでしたよ。

山がつの 垣は荒るとも 折々に あはれはかけよ 撫子なでしこ の露
(山里の家の垣根は荒れ果てていても せめてたまには訪れて 情けをかけてほしいもの あなたの可愛い撫子に)
と書いてきたこの手紙で思い出しましたので訪ねましたら、例の通り何のわだかまりも見せず迎えますが、ひどく物思いに屈託した表情で、荒れた家の夜露の、しとどに置いた庭をながめながら沈みこみ、虫の音に負けないほどしのび泣きしているのです。その女の様子が、何か昔物語めいて見えるのでした。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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