〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/20 (金) 

帚 木 (九)

など、言い争ってみましたが、実のところ、別れるつもりはなかったのです。そのまま見せしめのつもろで便りもやらず、何日も浮かれ歩いておりました。そのうち賀茂の臨時の祭りの管絃の練習が、宮中でありました。同僚たちと一緒に遅く退出しました。ひどくみぞれ に降る夜更けで、友達とも別れますと、こんな夜は、やはり帰って行くところは、あの女の家より他にはないとつくづく思ったのです。今更宮中へ戻って宿直をするのも味気ないものですし、もう一人の気取り屋のもったいぶった女の所では、打ち解けずうす寒い気がすることだろうと思ううち、ああ、あの女は今ごろ、どうしているだろうかと思い出し、様子を見がてら訪ねてみようと思い立って、とうとう雪になった白いものをうち払いながら女の家へ向かいました。なんとなく体裁が悪くきまるの悪い思いでしたが、そうはいっても、今夜のような雪の夜に訪ねたら、日頃の恨みも解けるだろうなどと思いながら、行ってみたのです。女の家では燈火も壁きわに寄せ、部屋の内はほの暗くして、柔らかい着物に綿のたくさん入ったものを、大きな伏籠ふせご に掛けてあたためてあります。几帳きちょう帷子かたびら などは引き上げて、今夜こそはとわたしを待ち設けていた様子でした。そて見たことかと、内心得意になったのですが、肝心の女の姿が見えません。何人かの女房たちが留守をしていて、女は今夜、親の家へ出かけたというのです。あれ以来、色っぽい歌も詠んで来ず、思わせぶりな手紙もよこさず、すっかり影をひそめて家に引き籠ったきりで、冷淡でしたので、こちらも張り合いが抜けて、さてはあんなにやかましくわたしの浮気をとがめだてしたのも、自分を嫌わせようとする女の愛想づかしであったのか、そこまでの素ぶりは見えなかったがなどと、むしゃくしゃする心に、そんなことまで考えたのでした。それにしても、わたしの着るものまで用意してあるし、それは見るからにいつもより心のこもった色あいや仕立てで申し分なくて、さすがに自分から捨ててしまった男の後々のことまで、心配してくれてあったのです。いくら女が頑固に冷淡に見せてもまさかわたしとこれっきり絶縁なしてしまうようなことはないだろうと思いまして、その後もいろいろと言ってやりましたが、別に逆らいもせず、また身を隠してわたしに尋ねまどわせるようなこともしないで、きまりの悪い思いをさせない程度に手紙の返事もよこします、ただ、
『以前のままの浮気なお気持なら、どうしてそれを見過ごすことが出来るでしょう。浮気な心を改めて、もっと落ち着いて下さいますなら、またお逢いしてもいいのですけれど』
などと言いましたので、そんなことを言ったって、どうせ思いきれもしないくせにと、高をくくって、しばらく懲らしめてやろうと考えました。女の言うように浮気はやめるとも言ってやらず、わざと意地を張っている間に、女はたいそう悩み悲しんだあげく、亡くなってしまいました。つまらない冗談はほどほどにするものだと、つくずく思い知りました。何もかも任せきれる女としては、あれくらいの女で結構だったのにと、今となっては惜しまれてなりません。ちょっとした趣味のことでも、大切な用件でも、相談相手として頼もしく、染め物の腕は龍田姫たつたひめ といってもいいくらいでしたし、裁縫も棚機姫たなばたひめにも劣らないほどの腕で、そちらの才能もすぐれておりました」
と話しながらも、可哀そうなことをしたと、しみじみ思い出しているようです。頭の中将は、
「その棚機姫の裁縫の上手なことはさしおいても、牽牛けんぎゅう織女しょくじょ の永い契りにあやかればよかったのに。たしかにその人は龍田姫の錦のように、妻としてそれ以上の女はいなかったのだろうね。ありふれた花や紅葉にしたって、季節にあわせ咲いたり、染まったりしないのは、色がぼやけて少しも引き立たず、映えないままで、消えてしまうものなのだ。女も全く同様で、理想的な妻を選ぶなんてむずかしくて、めったに出来るものではないさ」
と、左馬の頭の話に相槌を打たれます。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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