〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/20 (金) 

帚 木 (八)

頭の中将は、すっかり感心しきって、頬杖をつきながら向かい合って傾聴しています。まるで尊い法師が世間の道理を聞かせる説教所のよな感じがするのも、はたから見れば何だか滑稽ですけれど、こういう場合はつい、めいめいの恋の睦言も隠しきれず、ひけらかして喋ってしまうものなのです
「ずいぶん昔の話しですが、わたしがまだほんの下っ端だった頃、いとしく思った女がおりました。先ほどお話ししましたように、器量などは大してよくありませんでしたので、若気の浮気心には、この女を生涯の妻にしようなどとは考えてもいなく、ただ、頼りになる女だと思って関係はつづけていました。それでも何だかもの足りなく、あちこちほか の女の許へも通い遊んでいました。そんなわたしに、女はひどく嫉妬やきもち をやきますので、それが不愉快で、こんな嫉妬やきでなく、もっとおっとり構えていてくれたらいいのにと、いつも思っていました。女があんまり容赦なく疑って嫉くのがうっとうしくてなりません。それにしても、こんなつまらない自分のような男によく愛想もつかさず、どうしてこんなに思ってくれるのだろうと、すまなく思う折も折々もありまして、どうやら浮気の虫もおさまるという具合になっていました。この女の性格といいましたら、もともと自分には不得手なことでも、この男のためと思えば無理にもあれこれ工夫してやってのけます。あまり得意でない方面のことでも、何とかして夫に見限られないようにとずいぶん努力して、何かにつけて甲斐々々しく世話をするという調子で、少しでも夫の機嫌を損なうことのないようにと心掛けています。最初は勝気な負けず嫌いの女だとは思っていましたが、何でもわたしの言うことにしたがって、次第におとなしくなってきました。不器量で、夫に嫌われはしないこと、いじらしく精いっぱい化粧をして、他人に見られたら、夫が恥かしく思わないかと、遠慮して出しゃばりません。そんなふうに心を遣って、いつもきちんとしていてくれましたので、連れ添うに連れて性質も悪くない女だと次第に思うようになっていました。ただひとつ憎らしいこの嫉妬やきもち だけは、一向におさまらないのでした。
その当時、この女はこんなに無償に無闇にわたしに惚れこんで、怯えきっているのだから、ひとつ懲りるような目にあわせておどかしてやったら、少しは嫉妬も慎み、口やかましさも止むかもしれないと思ったのです。わたしがほとほと愛想をつかしたふりをして、縁を切るぞというそぶりを見せたら、きっと女も懲りるだろうと思い、わざとことさらに冷たく薄情な態度を見せてやりました。案の定、女は嫉妬に逆上して、怒って怨みごとをいいたてます。そこで、
『お前がこんなに嫉妬深く我が強いなら、夫婦の宿縁がどれほど深い仲でも、もう二度と会いたくない。これが縁の切れ目と思うなら、勝手にどんな邪推でもするがいい。もし、末長く添い思うなら、わたしのすることに、辛いことがあっても辛抱して、いい加減折れ合うよにしろ。その嫉妬深いという悪い癖さえ直してくれたら、わたしだって、お前をどれほど深く愛するかもしれない。わたしだってそのうち人並みに出世して、多少は身分も上がれば、その時には、お前と肩を並べる女もいなくて、れきっとした本妻になれるのだよ』
など、我ながらうまく言いくるめたと、調子に乗って喋りまくりますと、女はにやにやして、
『あなたが万事につけ見栄えがせず貧相で、まだ官位も低い間を、ずっと辛抱し通して、いつかは出世なさるのを待つというなら、いつまで気長に待っても苦になりません。それより、あなたの冷たい心を辛抱して、浮気の止む日がいつかはあるだろうかと、これから長い年月を重ねて、あてにならない空頼みを抱いていくなんて、とても辛くて出来そうもありません。やっぱりいまがお互いに別れるいい潮時なのでし
と、さも憎々しく言いますので、こちらも腹を立てまして、負けずに悪態をついてやりますと、女も我慢の出来ない性分で、いきなりわたしの指を一本引きよせ、がぶりと みつきました。こちらもそれを逆手にとって、大仰に喚き立てて、
『こんなきず までつけられては、いよいよ宮中に出仕も出来なくなってしまった。人並みでないとお前に馬鹿にされた官位もこれでおしま いだ。これではどうして人並みの出世が出来よう。万事休すだ。もうこうなれば、出家するしか道はない』
など、おど しつけて、
『今日という今日こそ、いよいよおさらばだ』
と、捨てぜりふを残し、咬まれた指を曲げたまま、出て来ました。

手を折りて あひ見しことを 数ふれば  これひとつやは 君が きふし
(指を折り折 あなたとの愛の歳月 数えてみれば 嫉妬ばかりか 何と欠点の多い人よ)
『捨てられても恨んだりは出来ないだろう』
と言いますと、さすがに女は涙をたたえて、
憂きふしを 心ひとつに数へきて  こや君が手を わかるべきおり
(あなたの浮気の数々を わが胸一つに数えきて ついに我慢の緒が切れて あなたの指に噛みついた 今こそ別れの時がきた)
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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