〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/20 (金) 

帚 木 (七)

左馬の頭はひとりはりきって、弁論博士になり、論じたてています。頭の中将は、この論議を最後まで聞こうと、熱心に相手になっていらっしゃいます。
「男女のことを、世間の様々なことに引き比べて考えてごらんなさいませ。たとえば指物師が、さまざまな細工物を自由に製作する場合も、翫弄物もてあそびものには、こうでなければならないという、形や作り方の規定がありませんので、見た目にしゃれたものを、なるほど、こういうものも作れるのだなと、臨機応変に趣向を変えて造りますと、目新しさに惹かれ、おもしろがられる物もあります。部屋の装飾の、格式のある立派な調度として、きちんと決まった様式のものを作る段になりますっと、その製作の立派さは際立って、やはり真の名人の作品は、ちがいが一目でわかります。また、宮中の絵所には名人上手がたくさんいますが、墨書きに選び出された絵師たちに、下絵を書かせたものを次々に見比べても、その優劣はちょっと見分けがつきません。ところが、人が見る事も出来ない蓬莱山ほうらいさん や、荒海あらうみ の恐ろしそうな魚の姿や、唐国に住むという猛々しい獣の姿、人の目には見えない鬼神の顔などといった、おどろおどろしく描かれた空想の絵は、画家が想像にまかせて思う存分に筆を振るっていますので、人目を驚かせるには充分で、実物に似る似ないは問題にいたしません。けれども、ごくありふれたそこらにあるような山のたたずまいや水の流れ、無慣れた人の家居の様子などを、写実で描いてありますと、なるほどそっくりだと思われて、その間に親しみやすく、のどかな点景などを、ほどよくしっとりとあしらい、なだらかな山の風景を、木立深く、いかにも浮き世離れした幽邃ゆうすい の地のように幾重にも重ねて描きながら、すぐ目の前のまがき の内の風景も、木石の配置まで心配りして描くとなると、名人は筆の勢いも格別でして、凡庸な絵描きはとても敵わない所が多いのです。文字を書いてもそうです。深い素養もないのに、ただあちこちの線を長く引いたりして、走り書きにして、なんとなく気取って技巧を見せたつもりのものは、ちょっと見には、気がきいているようですが、やはり本格的な書法を習いこんだ真面目で丁寧な書き方の方が、一見筆づかいが見栄えしないようでも、もう一度並べて比べてみると、やはり本格的な修業した人が丹念に書いたものが、技巧だけのより秀れているのがわかります。ちょっとした技芸でもこの通りなのです。まして人の心は、その折々に見せる思わせぶりな目先だけの情愛など、信頼のおけるものではありません。わたしの昔の失敗談をお話しましょうか。色好みの浮気者とお思いになるかもしれませんが、まあお聞きください」
と、膝を進めてきますと、源氏の君も眼をおさましになりました。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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