〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/19 (木) 

帚 木 (六)

「こうなればもう、家柄とか、容貌などはとやかく問題にしますまい。どうしようもない出来で、性質がひねくれた点さえなければ、ただ一筋に堅実で、静かな落ち着いた性格の女をやがり、最後の頼りとして考えておきましょう。もしそれ以上のたしなみや気働きがあったとしたら、拾いものだと喜んで、少々もの足りない面があっても、強いてそれ以上はもと めますまい。信頼ができて、あまり きもち焼きでなく、こちらを気楽にさせてくれるような性質さえ見きわめたら、表面的な情愛などは、自然に後から身に備わってくるものですからね。ところが、いやに気を惹くように恥かしがってみせ、夫に恨みごとを言いたい時も、そ知らぬふりをして辛抱し、表面は何気ないふうにしとやかに装い、そのくせ心に我慢の緒が切れると、言いようもないほど淋しそうな置き手紙や、胸にしみじみせまるような歌を詠んで、思い出の形見の品と共に残しておいて、自分は深い山奥や、淋しい海辺などにこっそりと身を隠したしまったりする者もおります。子供の頃には、女房などが、そんな物語を読むのを聞いて、たいそう哀れで悲しくなり、思いつめた可哀そうな女心に感動して、同情の涙までこぼしたものでした。しかし今思えば、そんな態度はいかにも軽率で、わざとらしいあてつけです。
たとえ、目のあたりに辛い目を見せられたところで、愛情の深い夫を残して、夫の心情も読みとれないかのように逃げ隠れて心配させ、夫の愛情を試してみようとするうち、とりかえしのつかないことになり、一生悲しい思いをしなければならなくなります。ほんとうにつまらないことです。
『よくまあ、思いきられて』
など、まわりからおだてられて、ますます気がたかぶ ってくると、そのままつい、尼になったりしてしまいます。出家の決心をする時は、何だか心が澄み清まったように思い、浮き世に何の未練もないように思います。ところが、
『まあ、おいたわしい。よくそこまで御決心なさいましたこと』
など、知人が見舞いに来り、まだ女に愛情の残っている夫が、女の出家を聞きつけて、涙を落したりすると、召し使や古女房たちが、ご注進、ご注進と駆けつけてきて、
『殿さまは、あんなにおやさしいお心で愛していらっしゃいましたのに、こんなお姿になってしまわれて、ほんとに惜しいことをなさいました』
などと話します。自分も剃髪して短くなった額髪ひたいがみ を指でさぐってみると、手ざわりの頼りなさに、心細くなり、つい泣き顔になってしまいます。我慢していても一度涙がこぼれはじめると、何かにつけてこらえきれず、後悔することが多くなるでしょう。そうなれば仏もかえって、未練たらしく心の汚い者よとお思いになるでしょう「。在世で煩悩ぼんのう で苦しんだいた時よりも、こういう生半可な出家では、かえって地獄に堕ちて悪道あくどう をさ迷いそうに思われます。また、前世からの縁が浅くなく、尼にならない前に夫が見つけて連れ戻したというような場合も、いったんそういうことがありますと、いくら仲直りしても、すっきりしないでしょう。何があっても、どんな危機に見舞われても、何とかその危機を二人でやり過ごして来た仲だからこそ、夫婦の宿縁も深く、情愛もいっそう湧くものでしょう。それなのに出家騒ぎなどあった後は、男も女も不安で、また何が起こるかと、安心しきるわけにはまいりません。
また少々男の心がほかへ移ったといっては、恨んでいきり立ち、仲たがいしてしまうのも、全くお粗末な話です。心は外の女に移っていても、ふたりが結ばれた頃の愛情を思えば、女がいとしくて、これはこういう縁だと思って、別れてしまう気持などないのに、女の方が騒ぎ立てたどさくさまぎれに、つい、せっかくの縁も切れてしまうというものなのです。何事もすべて女はおだやかに、たとえ嫉妬することがあっても、知っていますよという程度に何となくほのめかして、恨みごとを言いたい場合も、さりげなく、やんわり伝えると、夫の方は、その女の態度にかえって不憫さを深めましょう。だいたい、夫の浮気は、妻次第で、おさまりもするものなのです。かと言ってあまりむやみに夫を自由にさせ、放任しておくのもいかがでしょうかな。放任されると男は気が楽で、そんな寛大な妻を可愛く思ってくれそうですが、かえってそういう女は、軽く見くびられる恐れがあります。< きたることつな がざる舟のごと し> と文選もんぜん にこありますが、岸につながれぬ舟が風まかせに漂いますように、妻に干渉されない浮気は、男にとってはかえって面白味もありません。如何いかが ですか、そうでしょう」
と言うと、頭の中将はうなずいて、
「今、さいあたって、美しいとも、いとしいとも思って愛している相手が、不実な浮気をしている疑いのある場合は、大変だろうね。自分の方にはあやまちがなくて、相手の不実を大目に見てやったら、相手も非を改めて心を持ち直さずにはいられないだろうと思われるけれど、必ずしもそうなるとは限らない。とにかく相手を許せないと思うことがおこった場合も、気長に構えて辛抱するに越したことはないようですよ」
と言いながら、源氏に君と結婚した自分の妹の姫君こそは、この話にはぴたりと適っていると思うので、源氏の君が居眠ったふりをなさり、何の御意見もさしはさまれないのがもの足りなく、いらいらなさいます。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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