〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/19 (木) 

帚 木 (五)

さまざまな人々のことなどを話題にしながら、左馬の頭は、
「ありふれた恋の相手としてつき合う分には難がなくても、さて自分の妻として頼りになる女を選ぶ段になりますと、これがまた、いくら多い女の中からでも、なかなか決めかねるものです。男が朝廷にお仕えして、天下の柱石ちゅうせき となるような頼もしい人物を選ぶ場合でも、ほんとうに優秀な器量の人を選り抜くとなれば、なかなか難しいものですよ。しかしこの場合は、いくら偉い人物でも、一人や二人で天下の政治を行うわけにはいかないのですから、上司は下役に助けられ、下役は上司に従って、広範囲にわたる公事を互いに融通しあってこそ、事がうまく運ばれるものでしょう。ところが、狭い家庭の中では、主婦となるべき人物は一人しかいなくて、その資格について考えてみると、欠くことの出来ない大切な条件があれこれといっぱいあります。これがよくてもあれが悪い、一方よければ他方はだめと、どうどう廻りで、曲がりなりにもこれなら何とか我慢できるという女さえ、なかなか少ないのです決して浮気心の面白半分に、多くの女性を見比べてみようという物好きなつもりはないのですが、この女こそ自分の妻にと決めて、一筋に頼りにしたいというほどの気持でさがすため、どうせなら、後になって自分が力を入れて矯正したりする必要のない、はじめから自分の好みに合うような女はいないものかと選り好みするせいか、なかなか縁が定まらないのでようね。 必ずしも気に入ってはいないけれど、まあ、夫婦になったのも縁あればこそと、その縁を大切にして女と別れないでいるような男は、誠実に見えるし、また捨てられない女の方も、どこかいい所があるのだろうと奥ゆかしく見られます。しかし、どいうものでしょうか、世間の男女の関係も、これまでずいぶんたくさん見てきましたが、これこそ想像も及ばなかったすばらしい、理想的な男女の仲だなという組み合わせには、さっぱりお目にかかったこともありませんな。わたしどもでさえそうなのですから、まして、あなた方のような御大家の若君がこの上なしの贅沢なご選択をなさった日には、どれほどのお方がふさわしいのでよう。
器量も綺麗で、年頃もうら若い女が、自分では少しのちり もつかぬように、立居振舞に気を配り、手紙を書いても、おっとりと言葉を選び、墨色も薄くぼんやりと書き、男にじれったく気を揉ませ、今度こそはっきりした返事を見たいものだと、なすすべもなく男を待たせ、ようやくかすかに声を聞けるまで親しくなっても、相変らず息の下に声が消えてしまいそうに、言葉ずくなに応答するというようなのが、なかなかうまく欠点を隠すものです。それを、嫋嫋じょうじょう とした女らしい女と思い込み喜ぶと、そういう女はあまりにも情愛にひかれて溺れこむから、つきあっているうち、だんだん色っぽい本性があらわれてきます。これが女としては第一の欠点でしょうね。妻に仕事がたくさんある中でも、手抜きの出来ない一番大切な、夫の世話をするという面になると、むやみに情趣にこだわりすぎて、何でもない日常のちょっとしたことにも、歌を詠んでみたり、趣味に身を入れすぎるなど、なくもがなと思われます。そうかといって、ただもう実直一方で、いつもぼさぼさ髪をうるさそうに耳にはさんで化粧もせず、なりふり構わぬ世話女房が、家事にかまけきっているのも、困りものです。
男は毎日、宮中へ出仕して、そこでの朋輩ほうばい の動静や、善し悪しにかかわらず、見聞きしたことを、どうして気心の知らない他人にわざわざ喋る気になりましょうか。やはり身近な、生活を共にしていて、話のわかってくれる妻とこそ、話し合って慰みたいと思うものです。ひとり笑いがこみあげてきたり、涙ぐんだりもします。また、世間の筋の通らないことに腹立たしかったり、自分の心の中だけにおさめきれないことが色々あるものの、この女はどうせわかってくれるでもなしと思うと、つい横を向いてしまって、こっそり思い出し笑いが出たり、思わず 『ああ、ああ』 など、つい感動の独り言が口をついて出たりします。ようようそれを聞きつけて、 『え、何ですの」 などと、妻が間の抜けた表情をしてきょとんと顔を見上げているというんじゃ、どんなにがっかりしますことか。こうなりますと、ただひたすらあどけなく無邪気な、気立ての素直な女を、妻にして、何かと教えたり躾けたりしていくのがよさそうです。少し頼りなくても、そんな女は教育し甲斐があるというものでしょう。しかしそれも、いつも顔を合わせて一緒に暮している間は、そのかわいらしさに免じて、つお、欠点など許してしまいましょうが、離れて暮すような場合には、必要な用事をいってやっても何も出来ない。趣味的なことでも、実用的なむきのことでも、何かの折に片づけなければならないことに、自分ひとりでは、しっかりした配慮ができないのは、とても残念だし、女が頼りないという欠点は、やはり困ったことでしょう。一方、普段は少々愛想が無くて気にくわない女でも、何か事のある折に、思いがけず見事な働きをしてみせ、おやと目をみはらせるようなこともあるものです」
などと、女にかけては知らぬこともないという論説家も、女の良し悪しの結論を出しかねて、大きな溜息を洩らしています。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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