その頃、
高麗人
が来朝しましたが、その中に、よく当るすぐれた
観相家
かんそうか
がいることを、帝がお聞きこみになりました。宮中に観想人を召されことは、
宇多
うだ
の帝の
御遺誡
ごいかい
に禁じられていますので、ごく内密にして、若宮を彼らの宿舎の
鴻臚館
こうろかん
へお遣わしになりました。
御後見役
おんうしろみやく
としてお仕えしている
右大弁
うだいべん
の子息のように若宮を仕立ててお連れしたのです。
観相家は、若宮を観るなり
驚愕
うきょうがく
して、しきりに首を
傾
かたむく
け不思議がっています。
「このお子は、将来、国の親となり、帝王の最高の位にのぼるべき人相をそなていらっしゃいます。ところが、帝王になるお方として占いますと、国が乱れ、民の憂いとなることが起こりましょう。それなら国家の
柱石
ちゅうせき
となって、天下の政治を輔佐するお方として観立てますと、その相ともまた、違うようでございます」
と、言います。右大弁も、かなり学才のすぐれた博士なので、二人で話し合った内容は、たいそう意味深いものでした。漢詩などはお互いに作り合ったりして、観相家は、
「今日明日にも帰国しようちいう時になって、このような
稀有
けう
な相をそなえたお方にお会い出来た喜びは、かえってお別れの悲しさを思い知らされることになりましょう」
と、別離の心境を興趣深く詩に詠みました。若宮もそれに対して情趣の深い漢詩をお作りになり、すぐお
応
こた
えになったのを、観相家は言葉を極めて賞讃した上、数々の見事な贈り物などを献上いたしました。
朝廷からも、観相家におびただしい品々を
賜
たまわ
わりました。自然にこの話が世間に伝わり広がって、帝からはいっさいお洩らしにならないのに、東宮の祖父君の右大臣などは、
「いったいどういうおつもりで観相などおさせになったのだろうか」
と、気をまわして疑っておられます。
帝は深い尊い御思慮から、すでに若宮をわが国の観相家にも占わせていらっしゃって、内々お考えになっていたことなので、これまで若宮を親王にもなされなかったのです。それにしてもあの高麗の観相家は、実にすぐれていたと、お考え合わされるのでした。
帝は若宮を
無位
むい
の親王で、
外戚
がいせき
の
後楯
うしろだて
もない心細い立場のまま、惨めに過ごさせるようなことはなさりたくない。ご自身の御代さえいつまで続くやらはかり難いことなのだから、いっそ若宮を
臣下
しんか
に下して、朝廷の補佐役に任ぜられたほうが、将来もかえって安心出来るだろうと御判断なさって、若宮にはいよいよ、それぞれの道々の学問を習わせていらっしゃいます。
何につけても、際立って御聡明で、臣下にするのはまことに惜しいけれども、親王になられたら、即位のことなどでまた疑いをかけられるに相違ないとお考えになり、
宿曜道
すくようどう
の人たちにも判断をおさせになりましたが、やはり同じようにお答えしますので、
臣籍
しんせき
にして源氏の姓をお与えになることに、御決心なさったのでした。 |