〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/16 (月) 

桐 壺 (十一)  

月日は過ぎてゆき、ようやく若宮が宮中へお上がりになりました。
いよいよこの世の人とも思えないほど、前よりいっそう美しく御成長なさっていられますので、あまりの美しさに、もしや早死にでもなさるのではないかと、帝はかえって不安にさえお感じになります。
あくる年の春、東宮をお決めになる時にも、帝は何とかして若宮に一の宮を越えさせ、東宮に立たせたいと、心ひそかにお思いになりましたけれど、若宮には 御後見 おんうしろみ をする人もなく、またそのような順序を乱すことは、世間が納得しそうもないことなので、かえって若宮のためにはよくないだろうと御思案なさいまして、御本心は顔色にもお出しにならなかったのです。
「あれほど可愛がっていらっしゃったが、ものには限界があって、そこまでは出来なかったのだろう」
と、世間の人々も噂しあい、弘徽殿の女御もはじめて御安心なさいました。
若宮の祖母君にすれば、それにもすっかり気落ちなさり、慰めようもないほど うれ いに沈みこみ、
「今はもう一日も早く、亡き人のおられる所を、探し求めてそこへ行ってしまいたい」
とばかり祈りつづけていらっしゃいました。その しるし があったのでしょうか、とうとうお亡くなりになりました。
帝はまた、これを悲しまれることは限りもないほどでした。
若宮も六つになられた年のことでしたので、今度は祖母君の死をよくお分かりになり、恋い慕ってお泣きになります。祖母君も、これまで長い年月身近にお育てし、馴れ親しんでこられただけに、後にお残ししてこの世を去る悲しさを、かえすがえすお話してお亡くなりになったのでした。
若宮は、それからはずっと宮中にばかりいらっしゃいます。七つになられたので、 読書始 ふみはじめ めの式をなさいましたが、 たぐい なく御聡明なので、帝は空恐ろしいようにさえ御覧になられるのでした。
「今となっては誰も、この子を憎むことはできないでしょう。母の亡くなったということに免じて、可愛がってやって下さい」
とおっしゃって、弘徽殿などへお越しになる時も一緒にお連れになり、そのまま 御簾 みす の内へまでお入れになります。たとえ荒々しい武士や 仇敵 あだがたき でも、この若宮を見れば、思わず頬笑まずにはいられないほど可愛らしいので、さすがの弘徽殿の女御も、冷淡に突き放すことはおできにならないのでした。この女御のお生みになった 女御子 おんなみこ がお二人いらっしゃいますが、とても若宮には比べることもできません。
ほかの女御や更衣の方々も、この若宮はなだお小さいので気を許して、お顔を隠したりはなさいません。ところが若宮は、お小さくても今からもうしっとりつややかで、こちらが気の引けるような気品をたたえていらっしゃるので、ちょっと気の置ける面白い遊び相手として、誰も誰も好意を持っていらっしゃいます。
正規の学問としての漢学はもとより、琴や笛のお稽古でも、若宮は大空まで響くような絶妙の音色を出されて、宮中の人々を驚かせます。
こうして若宮のことをお話しつづけますと、あなり仰山すぎて、話すのがいやになってしまいそうな御様子のお方なのでした。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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