〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/16 (月) 

桐 壺 (十)  

命婦が、母君からの贈り物をお目にかけました。
帝は、これが亡き楊貴妃のあの世の 棲家 すみか を探し当てた 幻術士 げんじゅつし に、楊貴妃が托して玄宗皇帝に贈った形見の釵であったならば、などとお思いになるのも詮ないことでした。

尋ねゆく 幻もがな つてにても   たま のありかを そこと知るべし
(あの世まで楊貴妃を捜し求めたかの幻術士よ わたしの前にもあらわれてほしい あの人の 魂魄 こんぱく の行方を探し その 在処 ありか を知らせてほしい)
絵に描いた楊貴妃の容姿は、いくら腕のすぐれた絵師といっても、筆の力には限りがありますから、何としても生身の色香は写しきれません。
太液 たいえき の池の 芙蓉 はちす 未央宮 びおうきゅう の柳に、ほんとうによく似ていたと、長恨歌に歌われた楊貴妃の容姿は、唐風の装いを凝らして、さぞ端麗だったでしょうけれども、更衣のやさいく、可憐だった生前の面影を思い出されますと、それは花の色にも鳥の声にも、たとえようもないものでした。
朝夕のお二人の愛の誓いには、
「天にあっては 比翼 ひよく の鳥、地にあっては 連理 れんり えだ となろう」
と、長恨歌の詩句を固くお約束なさったものなのに、それも果たせなかったはかない更衣の薄命さこそ、限りなく恨めしく思われてなりません。
風の声、虫の につけても、帝にはこの世のすべてのものが悲しく思われますのに、弘徽殿の女御は、帝のお召しのないまま、久しく清涼殿の 御局 おつぼね にもお上がりにならず、その夜の月の美しさを観賞なさって、夜おそくまで管絃のお遊びに興じていらっしゃいます。
帝は、伝わってくるその賑やかな楽の音をお耳にされ、
「何という気性の烈しい人だろう、不愉快な」
と苦々しくお思いになります。
この頃の帝の御様子を拝察している殿上人や女房たちも、はらはらして聞いていました。もともとこの女御は、ひどく我の強い、とげとげしい御気性なので、帝の御傷心など無視しきってそんな振舞をなさるのでしょう。
やがて月も隠れてしまいました。
雲の上へも 涙にくるる 秋の月  いかですむらむ 浅茅生の宿
(雲の上と呼ばれるこの宮中でさえ わたしの涙でかき暗れている月よ ましてあの草深い宿では どうして澄むことがあろう)

と、母君の家を思いやりながら、長恨歌の玄宗皇帝が <秋の ともしび かか げ尽くして いま だ眠ることは あた はず> と歌われているように、 燈心 とうしん をすっかりかき上げてしまって燃え尽きる夜更けまで、起きておいでになります。 右近 うこん 衛府 えふ の士官が 宿直 とのい の名乗りをする声が聞こえてくるのは、もう真夜中の一時頃になったのでしょう。
人目をはばかられて、御寝所にお入りになっても、うとうとすることもお出来になりません。
朝お目覚めになりましても、更衣の御生前は、おふたりで夜の明けたのも知らず共寝して、 朝政 あさまつりごと を怠っていたことを恋しくお思い出しになられます。それにつけても、更衣と愛しあった昔の日々がなつかしくてならず、やはり今もついつい朝政は怠りがちになられるようでした。
お食事も召し上がらず、略式の朝食に、ほんの形ばかり箸をおつけになるだけで、清涼殿で召し上がる正式のお膳部などは、まったく見向きもなさらず手もお触れにならない御様子なので、 陪膳 はいぜん に伺候するすべての者たちは、帝の深い御傷心の有り様をおいたわしいと嘆きあうのでした。帝のお側近くお仕えする人々はみな、男も女も、
「ほんとうに困ったことですね」
と、云いあっては歎いています。
「こうなる前世の約束がきっとおありだったのでしょうね。帝は、更衣のことで、多くの人々から恨まれたり、そしられたりなさっても一向におきにお気にかけず、このことに関してだけはものの道理も失われ、更衣の亡くなられた今はまたこんなふうに、世の中のことをなにもかも思い捨てられたよになっているのは、またく困ったことです」
などと、よその国の朝廷の例まで引き合いに出して、ひそひそと歎きあうのでした。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next