風情のある贈り物などはする場合でもないので、ただ亡き更衣の形見にと、こういう時に役立つかと残しておいた衣裳の一揃いに、
御髪
上げの
櫛
くし
や
笄
こうがい
、
釵
かんざし
などを取り揃えてさし上げました。
若い女房たちは、更衣の死を悲しむことはいうまでもないとして、これまでは、宮中での暮らしに朝夕馴れていましたので、淋しくてたまりません。帝の御様子などを思い出すにつけても、若宮と早く参内なさるよう、母君におすすめするのでしたが、
「わたしのような縁起の悪い年寄りがお供してゆくのは、さぞかし世間の聞こえもよくないでしょう。また、そうかといって、若宮にはほんのしばらくでもお目にかかれないと、それこそ心配なことでしょうし」
など思い迷って、母君はきっぱりと若宮を宮中におつれすることも出来ないのでした。
宮中に帰った命婦は帝がまだお寝みにいらっしゃらなかったのを、おいたわしく思うのでした。
中庭の秋草の花が今を盛りと色美しく咲き匂っているのを、御覧になるふうをして、気配りのきくやさしい女房四、五人だけをおそばにお呼びになり、しんみりとお話などしていらっしゃるのでした。
この頃は、
宇多
うだ
上皇がお書かせになった
長恨歌
ちょうごんか
の絵を、明け暮れご覧になっていらっしゃいます。
長恨歌は玄宗皇帝と楊貴妃の悲恋を題材にした詩で、その絵に添えてある
伊勢
いせ
や
紀貫之
きのつらゆき
の和歌だとか漢詩などでも、恋人との死別の悲しみを歌ったものだけを口ずさまれ、そいういお話ばかりを常に話題にしていらっしゃいます
。
帝は命婦にたいそうこまやかに、更衣のお里の御様子をお尋ねになります。命婦はすべてが哀れのかぎりであったことを、しみじみお伝え申しあげます。母君からのお返事をご覧になると、
「
勿体
もったい
ないお手紙は畏れ多くて置く場所もございません。このような有り難い仰せごとにつけても、亡き人が生きていればと、心も真っ暗になり、思い乱れるばかりでして」 |