〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/15 (日) 

桐 壺 (八) 

「亡き子のために思い まど い、どうしてよいか分からぬ親心の闇に、耐えがたく辛い思いの片端だけでもお聞きいただき、胸も晴れるまでお話したいと存じますので、公の 御使 みつかい としてではなく内々にごゆっくりお越し下さい。この数年来は、嬉しく晴れがましい折においで下さいましたのに、こういう悲しいお 言伝 ことづて のお使者としてあなたさまにお目にかかろうとは、かえすがえすも恨めしい、わたしの命の長さでございます。
亡くなりました人は、生まれた時から、わたしどもが望みをかけていた娘でございました。亡夫の大納言は、いまわの際まで、
『この人の宮仕えの本意を遂げさせてあげるように、わたしが死んでも、情けなく志を くじ けさせてはならぬ』
と、くれぐれもさとされ遺言としましたので、これという立派な後見も持たないのに宮仕えするのは、かえってしないほうがましだと承知しながら、ただ亡夫の遺言にそむかぬようにと思って、宮仕えにさし出しました。
ところが、帝から身にあまるまでの御寵愛をいただき、何かにつけ、もったいないほどの深いお志をお見せ下さいます有り難さを頼りにして、ほかの妃たちからは、人とも思われぬような情けない扱いをされる恥を耐え忍びながら、何かと宮仕えをつづけていました。そのうち、他の方々の嫉妬がだんだん深く積もり、苦労が次第に多くなってゆき、あげくの果ては 横死 おうし 同然に、とうとう亡くなってしまいました。
今ではかえって かたじけな い筈の帝のご寵愛の深さを逆にお恨み申しているような有り様でございます。これも、悲しみに理性を失くした愚かな親の愚痴でございましょうか」
と、言いも終わらず、泣きむせかえるうちに、夜もすっかり更けてしまいました。
「帝もそのように仰せでいらっしゃいます。 『わが心ながらも、あれほど一途に、一目を見張らせ驚かすほど、あの人を思い詰め愛したというのも、所詮は長く連れ添えない短い縁であったからなのだろう。今ではかえって辛い契りだったと切ない。これまで自分は少しでも人々の気持を傷つけてような覚えはないと思うのだけれど、ただこの人ひとりのために、思わぬ多くの人々から、受けずともよい恨みを負うたあげくの果てに、こんなふうに、一人後にうち捨てられて、悲しみを静めるすべさえなく、いよいよ前にもましてみっともない愚か者になってしまった。うったい前世ではあの人と、どういう縁を結んでいたのか知りたいものだ』 と繰りかえされて、お涙がちでいらっしゃいます」
と、命婦が帝の御様子を話されるにつけても、お話は尽きないのでした。たがて、命婦は泣く泣く、
「夜もたいそう更けてしまいましたので、夜の明けぬうちに戻って、御返事を奏上いたしましょう」
と、急いで立ち帰ろうとします。
月は西の山の端に入りかけて、空は清らかに澄み渡り、風がすっかり涼しくなり、草むらの虫の声々も涙を誘うようにもの悲しく、なかなか立ち去りがたい庭の風情でした。

鈴虫の 声のかぎりを つくしても  ながき夜あかず ふる涙かな
(声を限りに泣き尽くすいじらしい鈴虫のように 長い秋の夜を泣き通す そのわたしの涙は 飽きもせず いつまでもふりそそぐ)
そういって命婦は、車に乗りかねています。
いとどしく 虫の しげき  あさ 茅生 ぢふ に  露おきそふる 雲の 上人 うへびと
(浅茅が宿の草の中 虫の音しげく人も泣く 雲の上人 おとな えば やさしい言葉の数々に 涙はさらにいや増して)
「つい、こんな愚痴まで申しあげたくなりまして」
と、女房から伝えさせました。
源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
Next