〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-W』 〜 〜
==源 氏 物 語 (巻一) ==
(著:瀬戸内 寂聴)
 

2015/11/15 (日) 

桐 壺 (五)

帝はその夜は淋しさと不安でお心がふさがり、まんじりともなさらず、夜を明かしかねていらっしゃいました。
お里へのお見舞にやられたお使いが、まだ帰って来る時刻でもないのに、気がかりでたまらないと、しきりに話していらっしゃいました。
更衣のお里では、
「夜なかすぎに、とうとうお亡くなりになりました」
と、人々が泣き騒いでいるのを聞き、勅使もがっかり気落ちして、宮中へもどってまいりました。
それをお聞きになった帝は、御悲嘆のあまり茫然自失なさり、お部屋に引き籠っておしまいになります。
こうした中でも、若宮をそのままお側に引きとめて、お顔をごらんになっていたいとお思いになりますけれど、母の喪中に若宮が宮中にいらっしゃるのは、前例のないことなので、仕方なく若宮も里方へ御退出になります。
若宮はまだ頑是なくて、何が起こったのかお分かりにならず、女房たちが泣きまどい、帝までしきりに涙を流されるのを、不思議そうに眺めていらっしゃいます。普通のありふれた親子の別れでさえ悲しいものなのに、まして母君との死別さえわきまえない若宮の哀れさはひとしおで、ことばもありません。
いくら 名残 なごり を惜しんでも、こうした時の掟には限りがありますので。更衣の 亡骸 なきがら はやがて作法通りに火葬にされることになりました。
母君は、娘と同じ煙になって、空へ上がりかき消えてしまいたいと泣きこがれ、野辺送りの女房の車に追いすがるようにして乗りこみました。 愛宕 おたぎ の火葬場で、実におごそかに葬儀をとり行っている最中にやっとたどり着かれたそのお心のうちは、一体どんなだったことでしょう。
「むなしい亡骸を目の前にしながら、やはりまだ生きていられるようにしか思えないのが、いかにも辛いので、いっそ灰になられるのをこの目でたしかめて、今こそほんとうに亡くなったのだと、ひたすら思いましょう」
と、 さか しそうに言われたのに、途中、車から転び落ちそうなほど、泣いて身を揉まれるので、たぶんこんなことと思ったと、女房たちも介抱しかねて困り果てました。
宮中から勅使が見えました。亡き更衣に 三位 みつ くらい を贈られるとの 宣命 せんみょう を読みあげるのが、いっそう悲しみを誘うのでした。生前、 女御 にょうご とも呼ばせずに終わったのを、帝はいかにも残念で口惜しくお思いになり、せめてもう一段上のお位だけでもと贈られたのでした。このことで、また更衣を憎むお妃たちが多いのでした。
そんな中にも、さすがにものの情理をわきまえた人々は、亡き人の顔だちや姿のやさしく美しかったこと、心ばえがおだやかで角がなく、憎めなかったことなどを、今更のように思い出します。
帝の見苦しいまでの度をこした更衣への御寵愛のせいで、いじめたり、妬んだりしたものの、更衣の人柄のしみじみ情愛深かったのを、帝のおそば付きの女房たちも、恋しく思いだしてはなつかしんでいます。<亡くてぞ人は恋しかりける> という古歌は、こうした折にこそふさわしいように思われます。

源氏物語 (巻一) 著:瀬戸内 寂聴 ヨリ
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