帝の、身に余る御寵愛だけを頼りにおすがりしてきている更衣は、何かにつけさげすみ、あら探しをする人々の多い中では心細くてなりません。もともと腺病質で弱々しく、いつまで生きられることやらと不安なのでした。帝のあまりにも深すぎる御寵愛がかえって仇になり、さまざまな気苦労の絶える間もないのでした。
更衣のお部屋は
桐壺
です。桐壺は帝のいつもおいでになる
清涼殿
せいりょうでん
から一番遠い位置にありました。
帝が桐壺へお通いになる時には、多くの妃たちのお部屋の前を、素通りなさらなければなりません。それもひっきりなしにお通いになられるので、それを見て無視された妃たちが
嫉
ねた
ましく恨みに思うのも当然なこことでした。
mた、更衣が召されて清涼殿へ上がる時も、まりそれが度重なる折々には、
打橋
うちはし
や渡り廊下の通り道のあちこちに、汚いものなどを撒き散らし
怪
け
しからぬしかけをして、送り迎えのお供の女房たちの衣装の裾が我慢できないほど汚され、予想もできないような、あくどい妨害をしかけたりします。
また時には、どうしてもそこを通らなければならない廊下の戸を、あちら側とこちら側でしめし合わせて閉ざし、外から錠をさして、中に更衣やお供の女房たちを閉じ籠めて恥をかかし、途方に暮れさせるようなこともよくありました。
こうして、何かにつけて、数えきれないほどの苦労が増すばかりなので、更衣はそれを苦に病んで悩みつづけ、すっかりふさぎこんでしまいました。それを御覧になると、帝はますます不憫さといとしさがつのられるのでした。そこで、それまで
後涼殿
こうりょうでん
にお部屋をいただいて住んでいた、ひとりの更衣を
外
ほか
に移すようにお命じになり、そのあとへ愛する更衣が清涼殿に召された時に使うようにしておしまいになりました。追われた更衣の身になれば、どんなにか口惜しく、その恨みは晴らしようもなかったことでしょう。 |