〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/12 (木) 

武 士 道 の 影 響 力

他方、日本人の欠点や短所についても、武士道に大きな責任のあることを認めるのが公平というものであろう。
わが国民が深遠な哲学を持っていない原因は、── 日本の青年の中には、科学的研究においてすでに国際的評価を得た人もいるが、哲学の領域においてはいまだ何の達成もない ── 武士道の教育制度において、形而上学の訓練がおろそかにされたことによる。日本人の感情的すぎて激しやすい性質は、私たちの名誉の感覚のためである。また、外国人の中には日本人の自負心を非難する人もいるが、もしそうした自負心があるとすれば、それもまた名誉心の病的な結果である。
日本を旅行している時、おうぼうの髪で粗末な着物をまとい、大きな杖か書物を手にし、世事にまったく無関心な様子で大道を大手を振って闊歩かっぽ する青年たちを見ただろうか。彼らこそは 「書生 (学生)」 である。
彼らにとって地球は小さすぎる。天も高すぎはしない。彼らは、独自の宇宙観や人生観を持っている。彼らは、空に浮かぶ楼閣に住み、幽玄な知恵の言葉を食べて生きている。
彼らの眼は、功名の火に輝き、彼らの心は知識を渇望する。貧しさは彼らを前進させる刺激に過ぎず、世俗的な財産は彼を束縛するものとなる。彼らは忠君愛国の宝庫であり、国家の名誉の番人を自任している。美点も欠点もあるが、それらはすべて武士道の最後の破片である。
武士道の影響は、今なお深く根ざして強いものがある。しかしそれは、意識されたものではなく、無言の感化であることはすでに述べた。人びとの心は、受け継いできたその観念に訴えられれば、理由もわからず反応する。それゆえ、同じ道徳観念でも、新しい翻訳語で表現されるものと、古い武士道の用語で表現されるものとでは、その効力が大きく違う。
信仰の道から離れた一人のキリスト者がいた。牧師のどんな忠告も彼を堕落から救うことができなかったが、かつては主に忠義を誓ったではないかと詰め寄ると、、元の信仰の道に立ち戻った。「忠義」 という一語が堕落するままだった彼を復活させたのである。
ある学校で、教師の一人に対する不満を理由として、長期間の学生ストライキが行われたことがあったが、校長が出した二つの簡単な質問 ── 「諸君の教授は価値ある人物か。もしそうであれば彼を尊敬して学校に留めておくべきである。彼は弱い人物か。もしそうであれば、倒れそうな者を押すのは男らしくない」 によって解散した。騒動の発端は、その教授の学力不足だったが、それは校長の示した道徳問題に比べれば小さく無意味なものになった。
このように、武士道によって養われた感情に訴えることによって、大きな道徳的革新が達成されうるのである・

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