日本においてキリスト教伝道事業が失敗してきた原因の一つは、宣教師のほとんどがわが国の歴史にまったく無知であったことにある。
「異教の記録などにかまうことがあるだろうか」 という人もいる。── その結果、彼らの宗教を、私たちや私たちの祖先が過去数世紀にわたって慣れ親しんできた思考様式から遠ざけてしまうのである。 一国民の歴史を嘲る?
── あらゆる国民の歴史は、たとえ文書記録のないアフリカのもっとも遅れた未開人の歴史でも、神自身の手によって書かれた人類史の一ページであるのを知らないのだろうか。 滅亡した人種も、優れた学者が解読すべき子文書である。哲学的で敬虔な人にとっては、それぞれの人種は神が書いたしるしであるし、皮膚の色のように、黒や白で書かれ、明白に読み取ることが出来る。またもしこの比喩があてはまるとすれば、黄色人種は、黄金の象形文字で記された貴重な一ページをなしているのである。 一国民の来歴を無視して、宣教師たちはキリスト教は新しい宗教だと主張する。しかし私の考えでは、それは
「古い古い物語」 である。それゆえ、みしわかりやすい言葉でそれが提供されるなら、言葉を換えれば、その国民の道徳の発達状態においてよく知られている言葉で表現されるなら、人種や国籍とは関係なく、彼らの心にたやすく届くことが出来るだろう。 アメリカ的またはイギリス的形態のキリスト教
── 創造者の恩恵と純粋さというよりもアングロ・サクソン流の気まぐれや妄想を持つ ── は、武士道の幹に接ぎ木するには貧弱な芽である。 新しい信仰の伝播者は、幹も根も枝もすっかり根こそぎにして、福音の種を荒れた地に蒔くべきだろうか。 そのような乱暴な方法も、ハワイでなら可能かもしれない。そこでは戦闘的教会が、富そのものの略奪と先住民の絶滅とに完全に成功したと主張されている。 しかし、そんな方法は、日本においては断じて不可能である。──
いやそれは、イエス自身が地上にその王国を建てるにあたって、決して採用しなかった方法である。 私たちは、敬虔なキリスト者で深遠な学者であるジョエットの次の言葉を、よりいっそう深く心に留めるべきである。
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