〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/11 (水) 

近 代 日 本 の 原 動 力

わが国に怒涛どとう のように侵入してきた西洋文明は、すでに古くからの訓育の痕跡こんせき を残らず洗い流してしまっただろうか。
もし一国民の魂が、それほど早く死滅するものだとすれば悲しいことである。
国民性を構成する心理学的諸要素の集合体は、「魚のひれ、鳥のくちばし、肉食動物の牙など、それぞれの種にとって除くことのできない要素」 と同様、分離しがたいものである。フランスの社会心理学者ル・ボン氏は、皮相な独断と派手な一般化に満ちた著書において言う ── 「知性による発見は人類共有の財産であるが、性格の長所短所は各国民が専有する遺産である。それらは固い岩のように、何百年もの間、毎日水が洗っても、せいぜい外側の角を取り除くにすぎない」 と。
これは、力のこもった言葉であり、もし各民族が遺産として専有する性格の長所短所があるとすれば、それは十分熟考に値するだろう。しかし、ル・ボンがその著書を書き始めるはるか前から、この種の型にはめたような学説はいくつも提唱されており、すでにドイツ人の人類学者テオドール・ヴァイツとイギリスの地理学者ヒュー・マレーよって論破されている。
武士道によって吹き込まれた種々の美徳を研究するにあたって、私たちはヨーロッパの典拠を引いて比較と例証を行ってきた。そして、その犠牲のどれ一つとして、武士道が専有する遺産ではないことを見てきた。
道徳的特性の集合体が、まったく独自の様相を呈することは確かだろう。エマーソンが、 「あらゆる偉大な力が成分として入り込む合成的結果」 と名づけたものである。しかし、コンコルドの哲人 (エマーソンのこと) は、ル・ボンのように、これを一人種や一国民の専有する遺産とはせず。逆に 「各国のもっとも有力な人物同士を結びつけ、彼らを互いに理解させ同意させる要素である。それは各個人がフリー・メイソンの符号を失ってしまっても、ただちにそれを感知させるほど明確なものである」 と言っている。
武士道が私たち国民、特に武士に刻印した性格は、 「種族にとって取り除くことのできない要素」 をなすとは言えない。しかし、それが保有している活力については疑いようがない。かりに武士道が単なる物理的な力にすぎないとしても、過去七百年にわたって蓄積してきた勢いが、そう急に止まることはありえないだろう。もしそれが単に遺伝によって伝わるだけだとしても、しおの影響はたいへん広範囲に及んでいるに違いない。
考えてもみよ。フランスの経済学者シュイソン氏が計算したところでは、一世紀に三世代あるとして、 「私たち一人ひとりは、その血管中に西暦一千年に生きてきた少なくとも二千万人の血液をもっている」 。 「何世紀もの重みに腰も曲がって」 土地を耕している農夫さえ、血管中に数世代もの血液を持っており、それゆえ彼は 「牛と」 兄弟であるのと同じように、私たちとも兄弟なのである。
武士道は、無意識のうちにも抗しがたい力となり、国民として各個人を動かしてきた。
近代日本のもっとも輝かしい先駆者の一人である吉田松陰が、処刑の前夜に詠んだ次の歌は、日本民族の偽らざる告白であった。

かくすれば かくなるものと 知りながら  やむにやまれぬ 大和魂
(こう行動すれば、死ぬことになることと知っていながら、私をその行動に駆り立てたのは大和魂である)
定式化はされなかったが、武士道は、わが国に生気を吹き込む精神であり、また行動力であった。それは今でもそうである。
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