〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/10 (火) 

民 衆 の 娯 楽 ・ 教 育 と 武 士 道

ヨーロッパの騎士道の最盛期においても、騎士は数の上では人口のごく小部分であるにすぎなかったにもかかわらず、エマーソンの言うように、 「英文学においてサー・フィリップ・オドニーからサー・ウォルター・スコットまで戯曲の半分と小説のすべては、この人物像 (ジェントルマン) を描いた」 のである。シドニーとスコットの代わりに、近松門左衛門や滝沢馬琴の名前を入れれば、日本文学の主な特質はひと言で尽くされる。
民衆の娯楽と教育を担った多くの道筋 ── 芝居や寄席の小屋、講釈師の口座、浄瑠璃、小説 ── は、その主な題材を武士の物語からとっている。
百姓は、家の囲炉裏を囲んで、義経と忠臣弁慶、勇ましい曾我兄弟の物語をくり返して語り、火に焼けた腕白坊主は口をあけたまま話に聞き入り、最後の薪が燃え尽きても、今聞いた物語で心は燃え続けた。
番頭や丁稚たちは、その日の仕事が終わって、店の雨戸を閉めたあとで、一部屋に集まって信長と秀吉の話を夜が更けるまで語り合った。やがて眠気がその疲れた目をおそい、彼らは帳場の退屈な仕事を離れ、戦場で巧妙をあける夢を見ることである。
やっと歩き始めた赤ん坊も、桃太郎の鬼ヶ島征伐の冒険談を、まわらない舌で語るよう教えられた。女の子でさえ、サムライの武勇とコへの崇敬に浸り切り、オセロの妻デズデモナのように好んで武勇伝を聞きたがった。
武士は、日本民族の理想の極致となった。 「花は桜木、人は武士」 と民衆は歌った。
武士階級は営利を追求することを禁じられたから、直接に商業を助けることはなかった。しかし、どの人間活動も、どの思想も、武士道から一定の影響を受けないものはなかった。知的・道徳的日本は、直接にも間接にも武士道の所産だったのである。
イギリスの社会学者マロック氏は、きわめて示唆に富む著書 『貴族政治と進化』 の中で、雄弁に述べている ── 「社会進化は、生物進化と別のものである限り、偉人が意図したことの無意識的な結果であると定義してよいだろう」 と。さらに、歴史的進歩は 「社会一般の間における生存競争によるものではなく、むしろ社会の少数者間において、大衆を最善の方法で導き、指示し、使役しようとする闘争によってなされる」 とも言う。氏の議論のニュアンスには批判があるかもしれないが、これらの言葉は、日本の社会進歩において、武士が果たした役割によって十分に証明される。

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