武士道精神が、いかにすべての社会階級に浸透したかは、
「男伊達」 として知られたある種の侠客きょうかく
、すなわち民衆の中から自然に生まれた指導者の成長によっても示される。 彼らは頼りがいのある男で、頭のてっぺんから足のつま先まで、豪快な男の力を備え、民衆の権利の代弁者であり、かつ保護者であった。彼らはそれぞれ数百、数千の子分を持ち、これらの子分は、武士が大名に対してそうであったのと同じように、喜んで
「手足と生命、身体、財産および世間的栄誉」 捧げ、彼らに仕えた。過激で短気な働く大群衆の指示を背にして、これら自然発生的な 「親分 bosses 」 たちは、日本差し階級
(武士) の専横をずいぶん抑制した。 武士道は、最初発生した社会階級から多様な道をたどって下っていき、大衆の間に酵母のように作用し、全民衆に対して道徳的基準を提供した。武士道は、当初はエリートの栄光として始まったが、時とともに国民全体のあこがれとなり、鼓舞するものとなった。そして平民は、道徳的には武士の高みにまでは達しなかったけれども、
「大和魂すなわち日本の魂は、ついにこの島国の民族精神を表現するに至った。 もし宗教というものが、マシュー・アーノルドの定義したように、「感情によって呼び起こされた道徳」
にすぎないとすれば、武士道以上に宗教の列に入る資格を持った倫理体系は稀である。本居宣長は、この国民の無言の言葉を表現して詠じた。 |