〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/10 (火) 

美 徳 は 頂 上 か ら

これまで私たちは、武士道の徳目の山脈の中で、目立つ峰だけを考察してきたにすぎない。武士の美徳は、わが国の国民の一般的水準よりもはるかに高いものだった。太陽が昇る時、まずもっとも高い峰を朱に染め、次第に下の谷々を照らすように、最初は武士道として結実した倫理体系は、時がたつにつれて大衆からも追従者を呼び込んだ。
デモクラシーは、生まれながらに王の資質を持つ者をその指導者として担ぎ、貴族主義は、王侯的精神を民衆の間に注入する。美徳は、悪徳に劣らないほど感染良が強い。 「仲間の中に一人賢い人がいればいい。そうすれば、みな賢くなる。影響はそれほど速い」 とエマーソンは言う。どんな社会階級・階層も、道徳的感化の普及力には抗しがたい。
アングロ・サクソンの自由が広く行き渡ったことについて言葉を重ねてもよいが、それを大衆がもたらしたことは稀だった。むしろそれは、大地主やジェントルマンの働きではなかったか。テーヌ氏が、 「海峡を越えて使われているジェントルマンとう語にこそ、イギリス社会の歴史が要約されている」 と述べているのは、まったく正しい。
デモクラシーは、自信に満ちた言葉で言い返すだろう ── 「アダムが耕しイヴが糸を紡いだ時、どこにジェントルマンがいたか。」
ジェントルマンがエデンにいなかったのは、本当に残念なことだった。人類の始祖は、彼の不在によりたいへん苦しみ、高い代価を払うことになったからである。もし彼がそこにいたら、楽園は (イチジクの葉ではなく) もっと赴き深い衣装を作っただけではない。エホバに対する不服従が、不忠にして不名誉、反逆であることを、痛い目にもわずに学んだだろう。
過去の日本は、武士の賜物だる。彼らは国民の花であっただけでなく、国民の根でもあった。すべての天の恵みは、彼らを通してもたらされた。武士は、社会的には民衆のはるか高い位置に置かれたが、民衆に道徳的な基準を示し、その模範となって導いた。私は武士index道に内に向けた教えと外に対する教えの二種類があったことを認める。後者は、社会の安寧幸福を求める仁政の教えで、前者は徳そのもののためにコをなすkとを強調する内面的な倫理であった。

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