〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/09 (月) 

武 士 道 が 女 性 の 地 位 に 及 ぼ し た 影 響

ヨーロッパの騎士が 「神と淑女」 にささげた表面上の尊敬については、多くが語られている。この二語の不一致は、ギボン氏を赤面させよう。またハラム氏は、騎士道の道徳は淫らであり、その女性に対する鄭重ていちょう さには不義の愛が含まれている、と教えている。
騎士道が女性に及ぼした影響は、哲学者にとって思索の糧であった。ギゾー氏は、封建制度ならびに騎士道は健全な影響を与えたと論ずる。それに対し、スペンサー氏は、軍事社会 (封建社会が軍事的でなくてなんであろうか) においては女性の地位は必然的に低く、それは社会が産業的となることによってのみ改善される、と述べた。
さて、日本において、キギゾー氏の説とスペンサー氏の説とどちらが正しいか。私は両方とも正しいと答えるだろう。
日本における軍事階級は、約二百万人を数えるサムライに限られた。その上に軍事貴族である大名と、宮廷貴族である公家がいた。── これらの身分が高く遊民化した貴族たちは、名ばかりの武人にすぎなかった。
武士の下には平民大衆 ── 濃工商 ── がおり、彼らの生活は平和的な常務にささげられた。こうしてスペンサー氏が軍事的形態の社会の特徴としてとりあげるところは、もっぱら武士階級に限られるものであり、産業的形態の社会の特徴は公家と農工商階級に当てはまるものだった。これは、女性の地位によってよく説明されうる。というのも、あらゆる階級の中で女性がもっとも自由でないのは、武士階級なのである。
奇妙なことには、社会階級が下になるほど ── たとえば職人の間においては ── 夫婦の地位は平等だった。身分の高い貴族の間においても、男女間の地位の差はあまり目立たなかった。これは、有閑階級である公家は女性化していたため、性差を目立たせる機会が少なかったことによる。スペンサー説は、旧日本において十分例証される。ギゾー説については、彼の封建社会をめぐる主張を詠んだ者は、彼が特に身分の高い貴族を考察の対象としたことを記憶しているだろう。したがって彼の議論は、大名および公家に妥当する。
もし私の言葉が、武士道のもとでの女性の地位に関したいへん低い見方を与えるとしたら、私は歴史的真実に対し、大きな不正を働いたことになる。私は、女性が男性と同等に待遇されなかったことを認めるにやぶさかではない。しかしながら、差異と不平等を区別するのでなければ、この問題について誤解はなくならないであろう。

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