これほど貴重な物が、工芸家の注意と熟練した技能、ならびに所有者の虚栄心をずっと逃れられるはずはない。刀を差しても、司教の杖、国王の笏ほどの実用しか持たない泰平の時代にあっては、特にそうであった。柄には鮫皮と最上級の絹の紐が巻かれ、鍔
は金銀がちりばめられ、鞘さや
にはさまざまな色の漆が塗られ、このもっとも恐ろしい武器は、その恐怖の様相の半ばを失った。しかし、これらの付属物は、刀身そのものに比べれば玩具に等しい。 刀鍛冶は、単なる職人ではなく、霊感を授かった芸術家であり、その仕事場は聖域であった。彼は、毎日斎戒沐浴さいかいもくよくして仕事を始めた。もしくは
「彼は、その魂と精神をこの鋼鉄に打ち込んだ」 のである。 鎚つち
をふり、焼き入れをし、砥石といし
で研く、その一挙一動が厳粛な宗教的行為だった。日本の刀剣を鬼気迫るものとさせたのは、刀鍛冶の霊、もしくはその守護神の霊だったのだろうか。芸術品としては完璧であり、刀剣の名所であるトレドやダマスカスの剣すら問題にしないものだが、日本刀には芸術が与えうる以上のものがあった。 その氷のような刀身は、抜けばたちなち大気中の水蒸気をその表面に集め、そのくもりのない肌は、青みを帯びた光を放ち、その比類ない刃には歴史と未来がかかり、その反りには至高の優美さと最高の力とが結合される。──
これらすべては、力と美、畏敬と恐怖の混じった感情で、私たちを刺激する。 もし刀が、美と喜びの道具に止まっていたなら、その役割は無害だっただろう。しかし、常に手の届く所にあったが故に、それを濫用したくなるような誘惑が少なからず生じた。平和な鞘から刀身が閃ひらめ
き出ることが、あまりに多かった。時には、新刀の切れ味をためすために、何の罪もない人の首を斬る者さえあった。これは濫用の極みである。 |