〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/04 (水) 

武 士 の 教 育 科 目

武士の教育で重視された第一の点は、人格の形成であり、思慮、知識、弁舌などの技術的な才能は軽視された。武士の教育において芸術的たしなみが重要な役割を果たしたことは、すでに述べた。それは、教養ある人にとっては不可欠だったが、サムライの訓育の本質ではなく、アクセサリーだった。
知的に優れていることは、もちろん貴ばれた。しかしながら、知性 intellectuality を表わすのに使われた 「智」 という言葉は、主として叡智 wisdom を意味したのであって、知識 knowledege そのものはきわめて低い地位しか与えられなかった。
武士道の骨組みを支えた三つの足は、 「智」 「仁」 「勇」 すなわち叡智、仁愛、勇気であると言われた。サムライは、本質的に行動の人であった。
学問は、その活動の範囲外にあった。武士は、その職分に関係ある限りで、学問を利用した。宗教や神学は僧侶に任され、武士は勇気を養うのに役立つ限りにおいてこれに関ったにすぎない。イギリスの一詩人が言うのと同じく、武士は 「人を救うのは教養ではない、教義を正当化するのは人である」 ことを信じた。
哲学と文学は、武士の学習の主要部をなした。しかしながら、これらにおいてさえ、武士が求めたのは客観的真理ではなかった ── 文学はおもに気晴らしの娯楽として学ばれ、哲学は軍事的もしくは政治的問題の解明のためか、そうでなければ人格を形成する上で実際に役立つ限りで学ばれたのである。
以上、述べてきたことからして、武士道の教育科目が、主として剣術、柔術 (ヤワラ) 、馬術、槍術、兵法、初動、倫理、文学、および歴史などから成りたっていることを見ても驚くには当らないだろう。
これらの教科のうち、柔術と書道は少し説明しておく必要があるかも知れない。
書道が重んじられたのは、おそらくわが国の文学が絵画的性質を帯び、したがって芸術的価値を有したためである。また筆蹟が人の性格を示すと考えられたからであろう。
柔術は、簡単に定義すると、攻撃および防御に解剖学的知識を応用したもの、と言ってよい。柔術が相撲と違う点は、筋力に依存しないことである。また柔術は、他の形の攻撃と違って、武器をまったく使わない。その技は、敵の身体のある箇所をつかみ、あるいは打って麻痺させ、抵抗できなくするものである。その目的は殺すことではなく、しばらく動けなくすることである。

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ
Next