〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/11/01 (日) 

元 武 士 が 商 業 に 失 敗 し た 理 由

日本の歴史をよく知っている人は記憶しているだろうが、わが国が外交貿易を行うようになってわずか数年後には、封建制度が廃止された。それとともに、サムライの秩禄は取り上げられたが、その代償として金禄公債が与えられ、その公債を商業に投資する自由も得た。
そこで読者は尋ねるだろう。 「なぜ彼らは、みずから大いに誇りとした信を、新しい事業に持ち込んで、旧弊を改めることが出来なかったのか」 と。
だが高潔で正直な多くのサムライたちは、新しく不慣れな商工業の分野で、狡猾な平民と競争する抜け目のなさがまったくなかったので、立ち直れないほどの大損害をこうむった。見る目ある者、心ある者からしてみれば、泣いても泣ききれず、同情してもし足りないありさまだったのである。
アメリカのように産業化された国でさえ、実業家の八十パーセントは失敗するということだから、商売を手がけた武士の百人中一人しかその新職業に成功しなかったとしても、何の不思議もない。武士道倫理を商業の方法に応用しようとして、どれくらい多くの財産が消滅したかを確かめるには、ずいぶん時間がかかるだろう。しかし、富の道が名誉の道でないことは、誰の目にもすぐに明らかだった。では、どのような点で、二つの道は違っていたのだろうか。
アイルランドの歴史家レッキーによれば、信が成立する三つの誘引は、経済的、政治的、哲学的なものである。その第一のものが、武士道にはまったく欠けていた。第二のものも、封建制度下の政治社会においては、あまり広がらなかった。正直であることが私たちの美徳の目録の中で上位に達したのは、その哲学的な側面、そしてレッキーが言うようにその最高の表現においてであった。
私はアングロ・サクソン民族の高い商業道徳に対する心からの尊敬をもって、その究極の根拠を尋ねたことがある。その時与えられた答えは、 「正直は最善の政策である」 ── 正直は引き合うということであった。そうであるならば、正直であること自体が報酬にはならないのだろうか。
もし正直であることが嘘をつくことよりも多くの金をもたらすかたという理由で守られるのだとすれば、武士道は金を得ることを嫌悪するゆえに、むしろ嘘をつくかもしれない!

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ
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