〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/10/31 (土) 

日 本 人 が つ く 「 ウ ソ 」 の 意 味

最近、あるアメリカ人が書た本に、みし普通の日本人に、嘘をつくのと無礼であるのとどちらがましであうrかろ尋ねれば、日本人はためらわず 「嘘をつくこと」 と答えるだろうと述べられている。
だが、これは問題である。このビーリー博士の見解 ( “The Grist of Japan ”) は、一部は正しく一部は間違っている 。正しいのは、日本人はサムライでさえも博士の言うように答えるだろうということである。間違っているのは、博士が、 「嘘」 という日本語を falsehood (虚偽) と翻訳し、あまりに重い意味を置いている点である。
「嘘」 は、真実 (マコト) でないことのほか、ただ事実 (ホント) でないことを示す時にも使われる。アメリカンの詩人ローウェルによると、ワーズワースは真実と事実の区別がつかなかったといおうことだが、普通の日本人はこの点ではワーズワースと同じである。
日本人に、あるいはいくらか教養のあるアメリカ人にでも、彼があなたを嫌っているかどうか、あるいは彼が胃病であるかを尋ねてみたまえ。彼はためらわず、 「私はあなたが好きだ」 とか 「私はとても元気です。ありがとう」 などと嘘の答えをするだろう。ただし、単に礼儀のために真実を犠牲にすることは 「空虚な礼式 (虚礼) であり、 「甘言による欺瞞」 とされた。

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ
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