〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/10/30 (金) 

細 々 と し た 礼 儀 作 法 

ヨーロッパ人が、日本人の礼にある細々とした規律を軽んじていう言葉を耳にしたことがある。そんなものを厳格に守ることは、私たちに思考からあまりにも多くを奪い、その意味において馬鹿げたことだと批判されてきたのである。
礼儀作法の中に不必要な細かい点があることは私も認める。しかし、礼儀作法と、西洋人たちがたえず移り変わる流行に固執するのと、どちらがよりよ馬鹿げているかは、はっきりとは判定しないでおこう。また、流行でさえ、私は単に虚栄心の変種だとは考えない。むしろ私は、流行とは人の心の絶え間のない美の探求とみなしている。
ましてや私は、細かい儀礼をまったくつまらないものとは考えない。というのも、それはある目的に到達するための最適な方法を長く考えた末に生まれた結果を示すものだからである。
およそ何かをしようとするなら、それをするための最良の道が必ず存在するはずである。その最良の道こそは、もとも効率的であるとともに、もっとも優雅な道である。イギリスの哲学者スペンサー氏は、優雅を定義して、もっとも効率的な運動の仕方と述べた。
茶の湯の作法は、茶碗、茶杓、茶巾などの取り扱いに、一定の明確な手順を定めている。初心者には、茶の湯は退屈である。しかし、その規定された手順によって、結局は時間も労力も一番節約されることが、ほどなくわかる。言い換えれば、もっとも経済的な力の使い方、── スペンサー氏の言葉によれば、もっとも優雅な力の使い方であることを発見するのである。

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ
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