〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-V』 〜 〜
==武 士 道 ==
(著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文)
 

2015/10/26 (月) 

封 建 制 は 専 制 主 義 で は な い

封建制の統治は、たやすく軍国主義に陥ることがあるが、その統治下にあって、我われがその種の最悪の専制を免れているのは、仁のおかげであった。支配される者が、無条件で 「盛名と身体」 を預けると、残るのは支配者自身の意志だけである。このことの自然な帰結として、絶対主義が進展する事になる。これはしばしば 「東洋的専制」 と呼ばれる (まるで西洋の歴史には専制者が一人もいなかったかのように)
私は、どんな種類の専制政治をも断じて支持しない。しかし、封建制を専制政治と同一視することは誤りである。フレデリック大王が、 「王は国家第一の召使である」 と書いた時、自由の発展史において新時代が到来したと法学者たちが考えたのは正しい。
奇遇にも時を同じくして、東北日本の辺地において、米沢藩主の上杉鷹山ようざん がまったく同じ宣言 ( 「国家人民が立てた君主であって、君主のために立てた国家人民ではない) を行い、封建制が必ずしも専制主義や圧政ではないことを示した。
封建君主は、みずからが臣下に対して相互的な義務を負うとは考えなかったが、自分の祖先や天 Heaven に対して、いっそう高い責任感を抱いていた。君主は民にとって父であり、天によって民の保護を委ねられたと考えられたのである。
中国の古い書物である 『詩経』 によると、 「殷の王室がいまだ民の心を失っていない時、彼らは天の前に出ることが出来た」 とある。
また、孔子は、 『大学』 の中で説いた ── 「民が好むところを好み、民の憎むところを憎む、これを民の父母という」 と。このようにして、人民の世論と君主の意志、言い換えれば民主主義と絶対主義が融合したのである。
このようにして、武士道もまた、ふつうの言葉に与えられているのとは違った意味で、父権政治を受け容れ、それを強化したのである。それはまた、関心のうすい叔父政治 (アンクル・サム)の政治、何と面白い言い方だろう!) に対する意味で父権的だった。
専制主義と父権政治の違いは、次の点にある。すなわち前者においては人民はいやいや服従するのに対し、後者では 「あの誇り高い帰順、あの品位のある従順、あの隷従の中にあったも高い自由の精神を保った心服」 (バーク 『フランス革命』) をもって従うのである。
次の古いことわざ は、まったく誤っているとも言えない。イギリス王を称して 「悪魔の王である、というのは臣民がしばしば王に反逆し、王を廃位するから」 フランス王は 「ロバの王である、というのはロバは租税公課を無限に負わされるから」 、ただし 「スペイン王には人間の王の称号を与える、なぜならその臣民が進んで服従しているから」 だというのである。だが、もう十分だろう!

『武 士 道』 著:新渡戸 稲造 訳:山本 博文 ヨリ
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