孔子と孟子の著作は、若者たちの基本的な教科書となり、年長者の間にあっては議論を正当化する最高の権威となった。しかし、この二人の聖賢の古典を知っているだけでは、高い尊敬はまったく受けられなかった。 孔子の言葉をただ知識として知っている人は、
「論語読みの論語知らず」 と嘲笑された。 ある典型的なサムライ [西郷隆盛] は、古典に通じた学者を、本の臭
いのする愚者と呼んだ。 また別の人 [三浦梅園] は学問をたとえて、 「学問は臭いの強い草のようなものである。よくよく煮て臭いを取らなければ食べられない。少し書物を読めば少し学者臭くなり、たくさん書物を読めばよけいに学者臭くなる。困ったものだ」
と述べている。これは、知識が呼んだ者の心に定着し、その人の人格に現れる時にはじめて本物の知識になる、ということを述べている。 学問の専門家は、機械のようなものだとみなさた。知性自体も、倫理感に従属するものだと考えられた。人間と宇宙は、どちらも精神的かつ倫理的な存在だとされた。武士道の考え方は、イギリスの生物学者ハクスリーの
「宇宙の運行は道徳には関係がない」 という判断を受け入れることは出来なかっらだろう。 武士道は、そのような知識を軽視した。知識の獲得は目的ではなく、智恵に至るための手段であるとした。そにため、その境地に達することの出来ない人は、たかだか便利な機械とみなされ、求めに応じて和歌を詠んだり、格言を口にすることが出来るだけの者とされた。 こうして知識は、人生において実際的に応用されるものとされた。このソクラテス的な教えの擁護者は、中国の儒者王陽明で、彼は、
「知行合一 (知ることと行動することは同じも) 」 をくり返し説いた。 |