まず仏教
Buddhism から始めよう。 仏教は、運命に対する穏やかな信頼、避けられない事柄を心静かに受け入れ、危険や災難を目にしてもストイックに落着き、生に執着せず、死に親しむ心をもたらした。 あるもっとも有名な兵法の師匠
(柳生宗矩) は、彼の弟子 (徳川家光) が技の極意を習得したのを見て、
「私が教えるのはここまで。ここから先は禅の教えがもたらしてくれるでしょう」 と言った。 この 「禅」 とは、仏教の 「ジャーナ Dhyana 」 の日本語で、すなわち
「言葉で表現できる範囲を越えた思念の領域へ、瞑想をもって到達しようとする人間の努力」 を意味する。 その方法は瞑想であり、私が理解しているところでは、その目的は万物の背後にある原理、できることなら
「絶対者 the Absolute 」 を悟り、「絶対者」 と自分自身を調和させることである。 このように定義すると、この教えは一宗派の教義にとどまらない。そして、
「絶対者」 を認識しえた者はみな、現世の事物を超越し、 「新しい天と新しい地」 に目覚めるのである。 |