ヨーロッパにおいてと同様、日本においても封建制の確立期には、職業的な戦士集団が自然と台頭して来た。彼らは、
「サムライ」 として知られている。この文字通りの意味は、古い英語の 「ナイト cniht (knecht,knight)
」 と同じく衛兵や従者を意味する。 その性格は、ローマの将軍カエサルがアクイタニアに存在すると述べた 「ソルデュリ soldurii」 や古代ローマの歴史家タキトゥスによれば当時ゲルマンの首長に従っていたという
「コミタティ comitati」 、あるいはもっと後世に例をとるならヨーロッパ中世史に登場する 「ミリテス・メディイ milites medii」 と似た性質を持つ。 その後の歴史の中で、
「武家」 や 「武士」 という言葉も、普通に使われるようになった。彼らは、特権階級であって、もともとはは戦闘を職業とする荒くれ者たちだったに違いない。 この階級は、長い年月の間つづいた戦乱の時代にあって、もっとも男らしく、またもっとも冒険的な者たちの間から自然にえり抜かれ、臆病者や弱い者は取り除かれていった。 アメリカの詩人エマーソンの言葉を借りれば、
「野獣のように強く、きわめて男らしい粗野な連中」 だけが生き残り、サムライの家系と序列を作り上げていったのである。 大きな名誉と大きな特権を持つにつれて、責任も重くなっていった。特にサムライたちは常に戦時体制を維持し、それぞれに個別の武士団に所属していたから、彼らは共通の行動規範を必要とするになってきた。 これは、医者が職業上の礼儀として同業者間の競争を制限したり、弁護士が同業者間の不文律を破った場合に査問委員会にかけられたりするのと同じように、武士もまた自分が不始末を犯した場合、その最終審判を受けるための何らかの基準が必要だった、とうことである。 |