武士道は、このように、武士が守るよう要求され、また教えられた道徳の掟である。それは文字に書かれた掟ではない。せいぜい口伝
によって受け継がれたものだったり、有名な武士や学者が書いたいくつかの格言によって成り立っているものである。 武士道は、語られず、書かれてもいない掟でありながら、それだけいっそう武士たちの内面に刻み込まれ、強い行動規範として彼らを拘束した。それは、有能な者の頭脳が作り出したものでもなければ、有名な人物の生涯にもとづくものでもない。数十年、数百年におよぶ武士たちの生き方から自然に発達してきたものである。 いわば武士道は、政治史におけるイギリスの憲法と同じ地位を、道徳史上にいめていると言える。しかも武士道は、マグナ・カルタや人心保護令のような成文法は持っていない。 十七世紀の初め、江戸幕府は、
「武家諸法度」 を発布しているが、その十三カ条の短い条文は、婚姻の制限や城郭建築の規制、徒党の禁止などを示したもので、武士の心構えについてはほとんど触れていない。 そのため、はっきりとした時と場所を指して、
「ここに武士道の源がある」 とは言えない。ただし武士道は、封建時代に自覚されるようになったのだから、その起源は封建制の成立と時を同じくすると思われる。したがって封建制が、多くの糸で織りなされているのと同じく、武士道もまた複雑な要素から成っている。 イギリスの封建制は、ノルマン人の征服から始まったとされているが、同様に日本の封建制の成立も、十二世紀末、鎌倉幕府を開いた源頼朝の支配と同時期だったと言える。ただしイギリスの封建制の社会的要素が、遠く征服王朝のウイリアム以前にまでさかのぼるように、日本の封建制の萌芽も、いま指摘した頼朝野時代よりもはるか以前から存在していたのだ。 |