武士道
(chivalry) は日本の標章
である桜の花にまさるとも劣らない、わが国土に根ざした花である。それは我われの歴史の植物標本箱に保存される干からびた古い美徳ではない。私たちの間にあってそれは、いまだに力と美を持つ生きた存在である。そしてそれは、なんら実体的な形を持たないが、道徳的雰囲気の香りを漂わせ、私たちがなおその魅力のもとに置かれていることを気づかせてくれる。 それを育んだ社会的条件はすでに消え失せて久しい。しかし、現在はもう消滅した遠くの星々が、いまなお私たちに光を投げかけているのと同様、封建制の子である武士道の光はその母なる制度より長く行き続け、今も私たちの道徳の道を照らしている。 この主題について、イギリスの思想家であり政治家でもあるエドマンド・バーク氏と同じ言語で述べることは、私の喜びとするところである。彼は、ヨーロッパにおいてすでに顧みる人もいない騎士道の棺ひつぎ
に、あまりに有名な賛辞を贈ったからだ。 あのジョージ・ミラー博士のように博識な学者が、古代の国々にも近代の東洋にも、騎士道やそれに類する制度は存在しなかった、と述べているが、それは極東に関する情報が悲しいほど欠けていたことを示している。しかしながら、そうした無知は十分に許されてよい。この優秀な学者の著作の第三版が刊行されたのは、ペリー提督が日本の鎖国の扉をたたいた年だったのだから。 十年以上経って、わが国の封建制が断末魔の苦しみを味わっていた頃、
『資本論」 を書いたカール・マルクスは、次のように読者に注意を喚起している。 「封建制の社会的・政治的諸制度を研究するとすれば、ただ日本だけにその生きている形を見ることが出来るだろう。」 私も、西洋の歴史学や倫理学の研究者に、現在日本に生きている武士道を研究することを奨励したい。 ヨーロッパと日本の封建制、および騎士道と武士道の歴史的な比較研究は、魅力的なテーマではあるが、それに詳しく立ち入ることは、本書の目的でない。 私が試みようとしているのは、第一に我われの武士道の起源と源泉、第二にその性格と教え、第三にそれが民衆に及ぼした影響、第四にその影響がいつまでも長く及んでいることを述べることである。 これらいくつかの論点の中で、第一については簡単に触れるだけにしよう。そうしないと、読者を日本史の入り組んだ小道に連れ込むことになるからである。第二の論点は、かなり詳しく扱うことになるだろう。これは、国際的な倫理学者や比較行動学の研究者に対して、おそらく日本人の思想と行動様式への興味を喚起すると思われるからだ。その他の論点については、補足的に扱うことにする。 |