〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/09/26 (土) 

雨 の 坂 (八)

東郷とその連合艦隊の大部分は凱旋の命令があるまで佐世保港内にとどまっていた。
そういう待機期間中、珍事が起こった。旗艦三笠が自爆し、六ひろ の海底に沈没してしまったのである。九月十一日午前一時過ぎの出来事であった。
ちょうど東郷は陸路東京へ向かいつつあった。真之も随行していた。その急報に接して真之はすぐさま引っ返し、佐世保鎮守府司令部の玄関に入ってみると、すでに事件直後のさわぎが一応静まったのか、庁舎内の廊下を歩く士官の表情の硬さだけが事件の名残を残している程度だった。
当夜、死者は、三百三十九人であった。
他の半数は半舷上陸していたために危難をまぬがれた。火薬庫が爆発した。が、なぜ爆発したかとなるとよくわからず、推測の手がかりもない。下瀬火薬が貯蔵の条件によってどう変質するかということも、この火薬が開発されてそれがため されるだけの十分な時間が経っていないためいっさい不明であった。不平水兵が放火したのではないかという説もあったが、戦勝後でもありまた士気の一般的状況から見ても考えられなかった。結局は火薬の自然変質による爆発というごく常識的な観測が佐世保の現場での大かたの考え方であるようだった。
「現場をご覧になりますか」
と若い士官が真之に言ったが、真之は見るにしのびなかった。彼と共に日本海の海上で戦ってきた三百三十九人の戦友が、敵弾でたお れることなく戦勝後事故で一挙に死んだ。数奇というよりもこの奇怪さが、真之の多分に宗教性を帯びはじめている感情には堪えられなかったのである。
ついでながら日本海海戦における侵入軍 ── ロシア側 ── の死者は約五千で、捕虜は六千百余人である。防御軍である日本側の戦死者は百数十人に過ぎなかった。真之はロシア人があの海戦であまりにも多く死んだことについて生涯の心の負担になっていたが、それにひきかえ日本側の死者が予想外に少なかったことをわずかに慰めとしていた。が、戦闘で死んだよりもはるかに多数の人間が火薬庫爆発といういわば愚劣な事故で死んだことに、真之は天意のようなものを感じた。あの海戦は天佑に恵まれすぎた。真之の精神は海戦の幕が閉じてから少しずつ変化しはじめ、あの無数の幸運を神意としか考えられなくなっていた。というよりも一種の畏怖いふ が勝利のあとの彼の精神に尋常でない緊張を与えはじめたのだが、この旗艦三笠の沈没は日本に恩寵おんちょう を与えすぎた天が、その差引勘定をせまろうとする予兆のようにも思われたのである。
真之が、到着した朝、大本営から命令が入った。
旗艦が、敷島に変わった。あれだけ奮戦した三笠はその栄光を受くべき凱旋の日の旗艦ではなくなったのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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