〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/09/26 (土) 

雨 の 坂 (七)

戦争が続いている間第三国から講和を調停する意思表示が非公式ながらも何度か行われたが、ロシア側の態度はそのつど硬かった。奉天での敗報が世界に伝わったあとでさえロシア宮廷の空気はたじろぎも見せていない印象だった。
日本海海戦で、人類がなしえたとも思えないほどの記録的勝利を日本があげたとき、ロシア側ははじめて戦争を継続する意志を失った。というより、戦うべき手段を失った。
このときロシアに働きかけたのは、米国大統領セオドア・ルーズヴェルトであった。
彼は日本海海戦におけるロシア艦隊の全滅をまるで自国の勝利であるかのように喜び、その勝利から九日後に駐露大使のマイヤーに訓電し、ロシア皇帝ニコライ二世に直接会って講和を勧告せよ、と命じた。ルーズヴェルトの友人である金子堅太郎にいわせれば 「アメリカはワシントンが合衆国を創立し、リンカーンが奴隷を解放した。いずれも偉大な事業であるが、しかしそれらは国内での事業に過ぎない。この合衆国大統領がみずからすすんで国際的な外交関係に手を出したのはアメリカ史上この時が最初である」 とし、そのことをルーズヴェルトにも言った。
「それによって君は世界的名誉を獲得するだろう」
と、金子は言った。
ルーズヴェルトより前にドイツ皇帝がニコライ二世に講和を勧告する電報を発しているし、同時にドイツ皇帝はルーズヴェルトに対しても、
「もしこの重大な敗戦の真相がペテルブルグに知れ渡れば皇帝ツアーリ の生命もあやういうだろう」
との電報を送っている。たしかにその危険はあった。ロシアの皇帝は強大な軍事力を持つことによってのみ存在し、国内の治安を保ってきた、とヴィッテも言っている。それが崩壊した以上、日露戦争はロシア国家に与えた衝撃よりもむしろロマノフ王朝そのものを存亡のがけ ぶちに追い込んでしまった事になる。
専制ロシアはただ一人の意志のみで動いている。その一人とは、皇帝であった。ルーズヴェルトが駐露大使マイヤーに対して 「拝謁して勧告せよ」 とすすめたのはその事情による。
マイヤーはそのとおりにした。六月六日午後二時から一時間に渡って皇帝と膝をつき合わせて話し、その意志を決定するようにすすめた。
皇帝はそてに従った。
日本側はむしろルーズヴェルトに講和調停の旗ふりを頼んでいただけに、異存はなかった。
会場は米国のポーツマスであった。八月十日より両国が正式会談に入り、九月五日講和条約が調印され、九月十三日まで双方の陸軍が休戦地域協定をし、次いで同十八日海軍がそれを行った。さらに講和条約は十月十四日に批准された。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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