東郷は敵将が重態であることを知って、見舞うことを遠慮した。 「病衣がよごれているのではないか」 とだけ言い、フランス語の出来る例の山本信次郎大尉にそれを持たせ、ベドウィーへ行かせた。 ベドウィーの士官室で、コロン参謀長らが山本と会った。コロンは当惑しきったような表情で、提督は意識もさだかではない、だから遭って頂くわけには参らぬ、と言った。 隣室は艦長室であった。そこからうめき声が洩れてきた。山本は、 ──
武人の情 けだと思い・・・・・。 と、この間かん
の心境を語っている。彼は提督に会わず、病衣のみ置いて去った。 そのあとふたたび山本はベドーウィを訪ねざるを得なかった。加藤という海軍軍医少監がロジェストウェンスキーを病院へ運ぶべく、軍医や看護兵を指揮してこの駆逐艦におもむいたからである。山本は通訳として同行した。 提督の体は担架に移された。コロン以下幕僚たちが日本の看護兵をはばみ、 ──
自分たちがかつぐから。 と言って、それぞれが担架にとりついた。 あの戦場で、この提督は戦闘なかばで重傷を負い、鮮明な意識の人ではなくなった。 提督はすでに戦士としては一水兵よりも無用の存在になっていたが、幕僚たち二十人はこの無用の人を救うべく旗艦スワロフを捨てたのである。この旗艦は二十人のほかすべてが艦と運命を共にそ、海底に沈んだ。ロシア艦隊の司令部がとったこの処置について、戦後、日本海軍側は罵倒ばとう
せず、いっさい評論を避けた。ただ水野広コ大佐だけがその著書においてこの経緯にふれ、司令部が兵を救わなかったことについて倫理上の攻撃を遠慮しつつも、客観的な態度で一句を挿入している。
「嗚呼ああ 兵は凶器なるかな!
を叫ばざるを得ない」 という。戦争は悲惨でこれを軽々になすべきではない、という意味である。 提督の体が汽艇に降ろされた時、彼の意識がわずかに醒さ
めた。山本信次郎がフランス語で東郷の意志を伝えると、提督の肉体は意外なほど活発で毛布の中から腕をのばし、山本の手を握った。山本によればロジェストウェンスキーは涙を流したという。 数日後に、東郷が佐世保海軍病院にロジェストウェンスキーを見舞うことになる。 同行者は秋山真之と山本信次郎の二人だけであった。 案内は戸塚環海海軍軍医総監である。この病院の廊下は足がくたびれるほど長かった。この間かん
、東郷は無言であった。やがて病室に入ると、病床のロジェストウェンスキーがわずかに顔を動かし、東郷を見た。この両将がたがいに顔を見たのはこの瞬間が最初である。 |