〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/09/24 (木) 

雨 の 坂 (一)

筆者の机上に、三笠の艦内で真之がのぞき込んでいた海図と同じものであろうと思われる古い海図が幾種類かある。
「二十九日天明、鬱陵島において装甲巡洋艦ドンスコイが日本の小艦艇群と奮戦の末自沈、残存乗員七百七十余人が上陸、捕虜となる」
と、その海図に書き入れたとき、二十七日以来、日本海の広大な海域を舞台にして争われた二つの帝国の海上戦はその最後の幕を閉じた。
ドンスコイの装甲は強力なものであった。日本の小さな巡洋艦や駆逐艦の砲弾は無数にこの艦に集中したが、それらはこの艦の汽罐と舵機を破損させたのみで、装甲帯そのものは小石を投げられた程度といっていいほどにびくともしなかった。結局、この艦は二十七日午後二時以来奮戦四十時間という記録を残し、みずからキングストン弁を開いて沈没した。
その電報が入ると、真之は海図に、
「ドミトリー・ドンスコイ」
と、その正称を入れ、自沈場所に×印をし、日時を記入して顔をあげ、
「どうやら終わりましたな」
と、加藤参謀長に言った。加藤は返事もしなかった。加藤はおよそ劇的表現のきらいな男であり、彼にとってこの世界史上空前の大海戦を運営するに当っても、まるで銀行員が事務を進行させて行くようにして進行させた。後日、彼が東京に戻ってからもこの調子であった。戦勝を祝うために私宅を訪ねて来る客を拒絶し、たまに面接しても、 「なんのご用ですか」 と、相手を鼻白ませ、とりつく島もない態度を見せた。
そういう無愛想さは真之の方がもっとひどかった。
「大変な勝利ですよ」
と、各艦から来る入電の整理をしていた参謀の清河大尉がやや昂奮して言った時も真之は戦闘概報を書く筆をとめ、ちょっと清河の顔を見たが、返事もせずにふたたび鉛筆を走らせた。このため幕僚室はちょっとした奇人クラブの観があった。加藤友三郎と秋山真之がそういう調子であるため、他の幕僚たちは大声をあげてはしゃぐわけにもいかず、全体の空気は病院の手術室のように静かだった。
東郷は長官室にいた。彼は入電して来る戦果についてはほとんど無表情で聴いていた。このかん 、彼はきわだった言動というものをいっさいせず、せいぜい湿った靴下をかわいた靴下にはきかえた程度が、従兵の目撃した記録的な動作であった。
「わが方の損害は水雷艇三隻」
という、信じがたいほどの軽微さで、無傷というにちかかった。
世界の海軍がそんp世界での唯一最大の模範としてきたトラファルガーの海戦でさえ戦勝軍である英国海軍はその乗員の一割を失い、司令長官のネルソンは旗艦ヴィクトリーの艦上で戦死し、さらには敵の仏西連合艦隊三十三隻のうち十一隻を取り逃がすという不完全戦勝であった。ところがこの日本海海戦にあってはまだ詳報を得ないとはいえ、ロシア艦隊の主力戦艦のことごとくは撃沈、自沈、捕獲されるという、当事者たちでも信じがたい奇蹟が成立したのである。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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