ネボガトフと参謀長のクロッス中佐がテーブルの向こう側にすわった。 真之もすわりつつ、まず降伏を受け入れる旨のことを英語で言った。しかしネボガトフには通じなかった。 そのため予定どおりの山本大尉がフランス語で通訳することにした。 「東郷提督ハ、ココニ惨烈ナル海戦ノ終リヲ告ゲルヲ貴官トトモニ喜ビ、カツ貴艦隊ノ降伏ノ申シ出ヲ名誉ノ降伏トシテ受クベク小官ヲ送レリ。ツイテハ貴官ラノ帯剣ハソノママニ帯セラレタシ」 その他、数項目を告げた。 ネボガトフはいちいちうなずき、
「貴命ニ従フベシ」 と笑顔で言った。 「ただ」 と両掌を開いて、その旨を各艦に伝達せねばならない、しばらくの時間をもらいたい、と言った。 ネボガトフとその参謀長が去ったあと、真之らは三十分待たされた。 この三十分のあいだにネボガトフは士官室でその幕僚と協議し、かつ各艦に連絡した。 やがてネボガトフが入って来て、
「もうすこし待ってほしい」 と言った。その理由は戦死者の水葬をしなければならないということと、三笠へ行く幕僚たちが服装を改めねばならないということの二つであった。さらに少将は無心をした。三笠へ行くために用うべき本艦の短艇
がことごとく破壊されてしまっている。貴官の水雷艇に同乗させてもらえないか、ということであった。真之は、 「どうぞ」 と、うなずいた。 そのあと、少将は着更に行きもせず、ちょうど話ずきの商人が商売をほったらかしにして雑談をするようにすわり込んでしまったのである。 ネボガトフの懸念は、すでに四散してしまった味方の各艦の運命に関することだった。 真之は確報が入っているだけのぶんのことを話した。ネボガトフはなおも各戦艦のたどった運命について入念に問い、真之からいちいち答えを得たあと、不意に両眼を曇らせ、 「全滅。──」 と、つぶやいた。この時期、まだロジェストウェンスキー中将の洋上捕獲という事態が発生していなかったから、真之はスワロフとともに戦死したと思っているし、ネボガトフはおそらく駆逐艦で逃げたろうと思っていた。つづいてネボガトフは前日来の諸状況を聞きたがった。 こういういわば雑談は真之にとって迷惑だった。東郷が三笠で待っているのである。たまりかねてそのことを言うと、多少のんき・・・
者の傾向のあるネボガトフは、 「おお!」 と、わが身が降伏者であることに気づいたらしい。真之の文章によると、同少将は 「初メテ心付キタルガ如ク、蒼惶そうこう
、私室ニ赴キ、従僕ニ命ジテ礼服ヲ出サシメ、之ヲ着替ヘラレタリ」 そのあとネボガトフとすべての幕僚は礼服を着て後甲板に出、総員に対し訓示をした。 真之にはロシア語が分からないながら
「その調子は悲壮で、涙を含んで懇々と演説されていた」 という意味のことを書いている。 |