〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/09/18 (金) 

ネ ボ ガ ト フ (十一)

珍事が起こった。
ネボガトフが降旗を掲げ、各艦の機関を停止せしめようとした瞬間の出来事である。
それまで旗艦ニコライ一世の右舷に寄り添ってネボガトフのために通報の仕事をしていたのが、見るからに軽快そうな艦型をもつ軽順巡イズムルード (三一〇三トン) であった。日本海軍の軍艦分類法でいえば三等巡洋艦に当る。
脚がはやい。
そのkとはすでに述べた。日本側の類型艦でいえば明石とか新高などに相当する。が、速力がちがっていた。イズムルードが二十四ノットも出せるのに対し、日本のそれはたとえば明石が十九ノット強で、新高は二十ノットである。日本の場合、戦艦が十八ノットほどで、一等巡洋艦が二十ノット、ただ二等巡洋艦のうち第三戦隊に属する笠置、千歳が二十二ノットの能力を持っていた。もっとも駆逐艦は二十九ノットとか三十ノットの速力を出すことが出来るが、しかし攻撃力と防御力の点で駆逐艦は巡洋艦にとうてい及ばないから比較の場に持ち込めない。要するに、イズムルードは日露両軍のなかでもっとも脚の早い軍艦であった。
艦長はフェルゼンという中佐で、この快速艦の艦長にふさわしく反射能力の鋭敏な資質を持っていた。彼は旗艦に降旗が掲げられたのを見て、型どおりに自艦にもそれをあげた。しかし機関停止をしなかった。
彼は指令塔のすきま・・・ から三方をのぞいていて、包囲環をちぢめて来る日本の各戦隊の一部に切れ目があることに気づいた。東方である。
彼はにわかに東へ変針した。
「イズムルードです。追いましょう」
と叫んだのはこの快速艦の位置から南西にいた第二戦隊の殿艦磐手の艦長川島令次郎であった。おなじ艦橋上にいた司令官島村速雄に言ったのである。
島村は度量の大きさで知られていたが、その島村を川島は生涯尊敬しつづけた。島村は黄海海戦で東郷の参謀長をしていたが、その時の功もいっさい語らず、 「みな秋山がやったことだ」 と私的な場でも公的な場でも言っていたし、そのあと第二戦隊の殿艦に座乗して司令官になり、二十七日の主力決戦をやったときも、あとあとまで艦長の川島の功のみを言った人物である。
追いましょう、と川島が気負いこんだときばかりは、
「まあまあ」
と、大きな体で川島をなだめるようにして、
「武士の情だ」
と言った。島村のこの時の言葉を、川島は後年、古典劇の名場面を語るようにして語った。
同時期に、第二艦隊旗艦出雲の艦橋上でも似たような情景があった。
同艦隊の司令長官上村彦之丞が、とっさに撃て、あれを撃て、と叫んだとき、参謀の佐藤鉄太郎中佐がいさ めた。佐藤自身が語っているところでは、 「長官。あれはネボガトフ提督が、皇帝に最後の上奏をするために出した使者ではないでしょうか。もはや一隻ぐらい逃がしてもかまうまいと思います。武士の情です」 と言った。すると上村はみるみる後悔の情をうかべて、
「気がつかんじゃった。射っちゃいかん」
と、大声で言った。もっともイズムルードを第六戦隊の一部が追ったが、脚が及ばなかった。同艦はウラジオストック付近まで行き、座礁した。艦長は艦を破壊して陸路乗員を引率してウラジオストックへ入った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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