結果から言うと、ネボガトフは戦後、クロンシュタット軍港において軍法会議にかけられ、死刑を宣告された。しかお軍法会議以前に軍籍をむしり取られていた。 皇帝ニコライ二世は、力尽きて捕虜になったというかたちのロジェストウェンスキーに対しては寛大であったが、ネボガトフに対しては峻烈で、皇帝みずからが海軍法廷にのぞんだほどである。 もっとものち死刑が許され、十年の要塞禁錮
の刑に処せられた。各艦長も禁錮刑に処せられた。 法廷ではネボガトフはおとなしくはなかった。彼はロシア海軍の腐敗を衝き、勝つための真剣な準備や注意がほとんどなされておらず、艦隊は棄てられたも同然であった、と主張した。 法廷では、 「なぜキングストン弁を開いて自沈しなかったのか」 ということにしぼられたが、しかし現場の状況はそういう余裕はまったくなかった。 東郷はその艦隊の主勢力をあげてネボガトフを包囲しつつあった。キングストン弁を開いて海水を入れ悠長に沈んでいるうちに、艦は東郷の持つ多数の砲のために木っ端微塵に粉砕されて、
「乗員の生命を救うため」 というネボガトフの唯一の目的が達せられなくなるのである。 ネボガトフは指令塔で降伏を決定したあと、各艦にその旨を報せ、旗艦の全士官を艦橋付近に集めて彼らの了解を得ようとした。 「自沈しましょう」 と叫ぶ声も二、三あったが、ネボガトフは両手をあげ、ほとんど泣き出しそうな表情をつくり、われわれには時間がないのだ、と言った。そのことはたれも分かった。すでに東郷の三笠は一万メートルにまで近づいていたのである。 そのうち、前檣に、 「X・G・E」 という三旒りゅう
の信号旗があがった。ワレ降伏スル、という意味である。さらにそのあと、テーブル・クロスで急製された白旗も掲げられた。 後続の各艦が、それにならった。 は、三笠の東郷には、それが見えなかった。距離が遠すぎたからでもあったが、ひとつにはまさか敵が戦わずに降伏するとは思わなかったのである。 この時東郷の取った戦術は彼の性格の一面をよく物語っている。敵はすでに包囲されている以上、その自滅を期待したことである。彼は慎重に艦隊を動かし、軽率に敵の射程に踏み込んで味方を傷つけないように配慮した。彼の麾下の諸艦のうち、もっとも遠距離へ射てる砲を持っているのは春日であった。東郷はまず春日に指図して射たしめた。 ついで午前十時三十分、敵との距離が八千メートルに達してから、第一、第二戦隊がゆるゆると射撃をはじめたのである。 |