〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/09/16 (水) 

ネ ボ ガ ト フ (四)

戦艦ナワーリンは昼間の砲戦でひどく損傷していた。
このい戦艦はロシア製で、福井静夫氏によれば英国設計の影響が見られるという。煙突は四本だが、二列縦隊にように二本ずつ組みなって並んでいるという特異な形で、このため目標になりやすかった。日没前、主力決戦が終わったころには、砲弾でぶち抜かれた孔から海水がどんどん入り、なかば沈んだ艦尾をひきずって進んでいたが、午後九時ごろついに海水は上甲板まで来た。このため僚艦から離れ、ひとまず機関を停止して漂泊し、弾孔の?塞てんそく をしたり排水をしたりしていたが、この作業中、鈴木貫太郎の第四駆逐隊に発見されたのである。
「一発も弾を撃って来なかった」
と鈴木は言うが、事情はよくわからない。なぜならば五分で沈んでしまい、生存者は三人にすぎなかったからである。朝霧は六百メートルで魚雷を発し、白雲は三百メートルまで迫って発射した。轟沈といってよかった。
同時に同地点で発見された戦艦シソイ・ウェリーキーはべつにナワーリンと隊伍を組んでいたわけではなく、偶然である。この戦艦は艦齢十年で、英国戦艦ロイアル・ソヴェレーンを模倣した設計であった。主力決戦で完膚かんぷ なきまでにやられ、艦首が沈下した。それでも微速ながら航進してたまたまナワーリンの近くまで来た時に、第四駆逐隊の襲撃を受け、艦尾に魚雷を二本くらった。舵がやられたため左右二つの機関の回転を調整しつつ操舵したが、それでもなお沈まず、第四駆逐隊が離脱したあと、さかんに海面を乱射して戦艦であることの威力を示した。
「シソイ」
と、日本側は、この三笠に似た形の戦艦をよんでいた。これだけの破損を受けてなお沈まなかったというのは、当時の攻撃力に比して戦艦の防御力がいかに大きかったかを証拠立てている。シソイは終夜、微速で動いた。艦長オーゼロフ大佐はウラジオストックまでとても辿たど り着けないと思い、乗員を救うために対馬方向への針路に転じた。夜明けごろ、巡洋艦モノマーフが駆逐艦一隻をともなって付近を航進して来たためこれに救助を求めたが、モノマーフの返答は冷たかった。
「ワレモ沈没ニひん セリ」
と応答して、去った。事実モノマーフは対馬東方で沈没に瀕し、乗員は救い上げられた。構想巡洋艦ナヒーモフもその辺りで相前後して沈んだ。
モノマーフがともなっていた駆逐艦は、グロームキーだったが、駆逐艦不知火に追跡されて捕獲され、ほどなく沈没した。
他のロシア艦隊の個々の運命についてはいちいちこれを追うにはあまりに状況が雑多すぎる。要するに一個の提督に指揮されてまがりなりにも艦隊を組んでウラジオストックに針路を向けているのは、ネボガトフ少将の五隻だけであった。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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