〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/09/13 (日) 

ネ ボ ガ ト フ (一)

ネボガトフ少将は、
「浮かぶ火熨斗アイロン
といわれた旧式戦艦を率い、ロジェストウェンスキーの航海とは別経路をとり、地中海を経てインドシナ半島のヴァン・フィン湾で合流した。その後は、第三戦艦戦隊として組み込まれ、極東に向かった。
対馬海峡にさしかかったときは全艦隊が二列縦陣になっていたが、ネボガトフの率いる第三戦艦戦隊は左縦陣をなした。
旗艦はニコライ一世 (九五九四トン) である。ずんぐりした艦型で舷側が高く、大砲が変に短く見える軍艦で、新鋭のスワロフや日本の三笠などから見れば姿からして間が抜けて見えたし、脚も遅く、十五ノットしか出なかった。以下、三隻の装甲海防艦がくっついている。アブラクシン (四一二六トン) セニャーウィン (四九六〇トン) ウシャーコフ (四一二六トン) で、旗艦の艦名はクリミア戦争をやった好戦的な皇帝の名であり、他の艦はそれぞれロシア帝国の名誉をあげたかつての海軍の名将の名前がついている。
が、日本海軍はこのネボガトフの艦隊の質をよく研究していた。その結果、
「主力決戦のときは全力をあげて敵の新鋭主力艦をたたく」
という方針がとられ、五月二十七日の日中いっぱいつづいたあれだけの激烈な戦いの中で、このネボガトフの第三戦艦戦隊だけは、いわば見逃されていた。
このため、ネボガトフは夜に入っても航海をつづけることが出来たのである。
その損害は、旗艦が左舷に十個の砲弾を受けた程度で、アプラクシンは後部砲塔の左砲がやられ、全部艦橋の下の左舷側を撃ちぬかれた程度で軽傷であった。セニャーウィンもほぼ同程度の怪我けが ですんだ。もっともウシャーコフは乱戦の中で艦隊から離れてしまい、翌二十八日午後六時十分、島村速雄が率いる第二戦隊の磐手いわて八雲やぐも のために撃沈された。
二十七日の乱戦の中で、われだけの威容を誇ったバルチック艦隊は灰を吹いたような他愛なさで散ってしまい、艦隊はばらばらになり、どの艦がどうなっているかが互いに分からなかった。
ネボガトフは、司令長官の運命を確認する事が出来なかったが、しかしこの想像を絶した砲弾の嵐と惨況を見てしまった以上、ロジェストウェンスキーの生存を想像するだけでも無駄だった。その座乗艦スワロフとともに海底に沈んだに違いないとネボガトフは思った。
ネボガトフは、敗勢を収容すべき自分の立場を思った。日没寸前、彼は、
「ワレニ続航セヨ。針路、北二十三度東」
という信号をその旗艦に掲げつつ進んだ。たまたまかつての新鋭戦艦五隻のうち、たった一隻生き残っているアリョールが、息たえだえになっているそばを、ネボガトフの旗艦が通り過ぎた。アリョールは砲弾のために三百に達する穴をあけられており、海水がどんどん入って来て、艦内に三百トンもの水を呑み込んでしまっていた。艦上はほとんど廃墟になっていたが、機関と舵機だけは無事だった。この艦はネボガトフに従った。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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