漣は一本マストで風を切って、どんどん近づいた。 鬱陵島があ右に見える。午後四時四十五分、四千メートルの距離まで近づき、射撃を開始した。命中しなかった。ところがベドーウィは逃げていても、その砲門を開こうとしない。 「落ち着いたものだな」 と、艦長の相羽は敵の態度に感嘆して声をあげた。よほど近距離にならないと駆逐艦の射撃は当らないのである。敵はそれを知っていると相羽は思ったのである。しかし相羽は敵に対する観測を一つだけ欠いていた。敵の砲は覆
いをかけられているのである。しかしそれを相羽の不注意とするわけにもいかなかった。戦闘中の駆逐艦が砲の覆いをかけっぱなしということがあり得るだろうか。 駆逐艦ベトーウィでは騒ぎがおこっていた。 合戦準備の命令も出なかった。たまりかねた兵員たちは砲のそばへかけ寄り、覆いをとろうとした。しかしすぐその行動が禁じられた。水兵たちは騒いだ。なかには小銃を持ち出してきて、弾込めをしている者もいた。おそらく、このまま捨てておけば反乱になったであろう。いざとなれば士官たちより彼ら水兵の方が愛国心が強烈だったというところに、帝政ロシアの構造のむずかしさがあった。この国はこの当時の日本が国民国家を成立させていたのに、まだ王朝のままの状態でいた。士官は王朝の構成者であったが、水兵は単に民衆にすぎなかった。民衆が政治をにない。国家の安危を共同に分担するという政体が出来ないかぎり、近代にあっては他国と近代戦をやるというのは不可能であるかも知れなかった。 士官たちは八方に走って水兵たちをなだめた。 「責任は自分が持つ」 と言った者もあれば、
「提督の命令だ」 と言った者もある。事実、提督は命令していた。さらにもっと興味ある理論を述べた者もいた。 「このふね・・
は駆逐艦ではない。病院船だ」 ということである。病院船である証拠に提督とその幕僚たちという負傷者が乗っている、というのだが、どの艦にも負傷者が無数に存在し、ベドーウィだけが病院船であるとは言えなかった。っしかし病院船であるためには武装を無くすという形式をとらねばならない。そのために覺砲の覆いをかけっぱなしているのである。 ベドーウィhついに機関をとめた。機関をとめるというのが戦時国際法による降伏の意思表示のひとつである。と同時に、マストに万国旗を掲げた。 「ワレニ負傷者アリ」 この信号を漣から見ていた相羽少佐は混乱した。敵はすでに降伏しているのか、とはじめて気づいた。彼が見誤っていたことは、先刻、マストにあがった旗である。彼は戦闘旗だと思っていた。しかしよく見ると、それは食堂の白いテーブル掛けであった。 相羽は打ち方やめを命じ、伊藤という先任の中尉ににこうへ行かせることを命じた。 伊藤は出かけて行ったが、言葉が通じなかった。絵の上手な塚本中尉は、英語にも堪能だった。 相羽は塚本をやることにした。この時期でもなお彼はあのブリキのような駆逐艦に敵の提督が乗っているとは夢にも思わなかった。 |