砲弾と魚雷とスクリューに掻きまわされたこの海域において、二十七日とその夜、そして二十八日にかけて、無数のあり得べき現実群が発生した。それと同量のやや不思議な事象などが簇
りおこった。 しかし主決戦の翌二十八日においておこった以下の事象ばかりは神と悪魔が合作してもおこり得べからざる運命的だったかも知れない。 日本海という広大な洋上において、ロシア側の主将ロジェストウェンスキーとその幕僚が全部捕虜になったのである。海戦史上、類のないことであった。 この運命劇の主役として登場するのは、三〇五トンの小さな駆逐艦だった。漣さざなみ
とう艦で、相羽あいば 恒三つねぞう
という少佐が艦長だった。 漣は東雲しののめ
、薄雲、霞かすみ とともに四隻で仲間を組み、第三駆逐隊を構成している。司令は吉島重太郎中佐であった。 この二十七日の夜は星がなく、海上はまったくの闇であった。ときどき光るロシア艦の探照燈をにつけては走った。相羽はこの索敵行の心境をこう語っている。 「海上はおそろしく静かで、マストに騒ぐ風の音と、機関の響きだけが物音のすべてであった。波浪にもまれて行くうちに生死のことなどは忘れてしまった。功名をしようという欲もなかった。ただ日本国家に仇あだ
をなす敵をほろぼしたいという一念のみで、今この時のことを思い出すと、自分にもあのような気高さがあったのかと、ふしぎな思いがする」 という。 この駆逐隊は、四隻の敵艦隊をみつけた。魚雷を射つのには敵と向き合った形が効果的だとされているから、駆逐艦は敵の単從陣のまわりを一時間ばかりぐるぐるまわり、ついに敵の嚮導艦のへさき・・・
四百メートルというところを突っ切るという冒険をおかして魚雷を発射した。敵もこれに気づき、小口径砲をさかんに撃ってきたが、距離があまりにも近すぎるために、砲弾はみな駆逐隊のマストを飛び越えてしまい、駆逐隊には被害はなかった。 ところがこの運動中、漣だけは味方にはぐれてしまったのである。敵の艦隊は、はじめ気づかなかったが、左舷に四隻の駆逐艦をともなっていた。漣はそれを味方だと思い、くっついて走ったが、すぐ気づいて味方をさがすべく他のほうに転じたが、ふたたび左舷に三隻の艦影を見た。 「あれは明石です」 という者がいた。明石
(二七五五トン) というのは日本の三等巡洋艦だったが、左舷に出現したのはあとでわかったことだがロシアの巡洋艦だった。魚雷発射には絶好の距離だったが、しかし相羽はひるんだために好機を逸し、艦影は去った。 漣は、諸事、つ・
いていなかった。 味方をさがすうちに艦そのものが故障したのである。 相羽はとりあえず蔚山港で艦を修理しようと思い、いそぎ戦域を離れた。 蔚山港に入ると、似たような事情で駆逐艦陽炎かげろう
も入って来た。陽炎は第五駆逐隊に所属していて、両艦は隊がちがっていた。 「どうも、運がないよ」 と、相羽少佐は陽炎へ話しかけた。陽炎の艦長は大尉で、吉川安平といった。吉川はしきりに首をふっていた。ボンクラ同士が吹き寄せられた感じで、あいづちを打つ元気もなかったのであろう。 両艦とも故障がなおったのは二十七日の夜が明けてからだった。 二艦で臨時に隊を組もうということになり、階級が一つ上の相羽が仮の司令になった。 漣が先に立ち、暁光にかがやく海へ出て行った。海上は昨夜までのうねりは残っていたが、天候は昨日とは打って変わったような快晴で、視界がよくきいた。 |