三笠に乗組んでいる鈴木重道軍医総監
(少将) は、下甲板後部居住区に充満している負傷者の手当てに忙殺されていた。 この日の死傷者は三笠が旗艦だっただけに他の艦に比べて圧倒的に多く、死傷百十一人にのぼった。ついで殿艦の日進が多く死傷九十六人である。 鈴木が後年語ったところによると、彼が治療をしているところへ、ちょうど戦闘を終えた東郷が艦橋から降りて来て下甲板後部居住区を通りかかった。左右に負傷者がびっしろ横たわれり、一人がやっと通れるくらいの通路があけられている。東郷は、長官室へ戻る途中、この辺りへ立ち寄ったのである。驚嘆すべきことだがこの人物の表情は、戦闘中も、今左右の負傷者をかきわけるようにして通っているときも、少しも変わらなかった。 一人の負傷者のそばにしゃがんできた鈴木が立ち上がって、 「だいぶ怪我人ができ
ました」 と言うと、東郷はやっと立ち止まり、 「もっとできる・・・
つもりだった」 と、言った。鈴木に言っているのだか自分に言いきかせているのだか、どちらでもとれる呟つぶや
き声ごえ であった。東郷の実感であったであろう。この日の戦法では三笠に敵の主砲の砲弾が集中する。彼自身も艦橋で死ぬつもりで立ちつくしていたのだし、最悪の場合は三笠もろとも沈むであろう覚悟でいた。 ──
非常な決意をもっておられたのだということをこの時はじめて感じた。 と、鈴木は語っている。 東郷は長官室に入ると、緑茶を一杯飲んだ。これが、彼がとほうもに海戦をやってのけたあとの唯一の終了儀式だった。 真之は幕僚室に入って、戦闘概報をまとめはじめた。他の若い参謀たちは東京へ送るべき電文の起草にとりかかった。 参謀長の加藤は、海図を見おろした。室内は銀行の店内であるかのように静かで、どの男の動きも事務的だった。たれも大声をあげず、また戦果についの乱雑な感想を述べ合ったりもしなかった。たれもが疲れ切っていた。真之などは真っ先に足を投げ出してソファに寝ころがりそうな男だったが、それが机に向かって鉛筆を動かしつづけていた。あれだけの海戦が、まるで白昼夢であったかのようであり、たれの心にもどういう感動も与えていないようでもあった。 この不気味すぎりほどに静かな空気は、彼らが身につけている規律正しさというようなものでは説明が出来なかった。 理由は、彼らの仕事がまだ緒ちょ
についたばかりだったからであろう。あの海戦ではたしかに五隻のおそるべき戦艦のうち四隻までは沈めた。群小の艦の何隻かは沈むか、沈んだも同然になっているかも知れないが、詳細はまだわからなかった。敵は四十隻ほどいたが、それらが艦隊のかたちをなさないまでに混乱していることだけはたしかである。それらが、広大な日本海のほうぼうに散りつつあるであろう。それらを一艦々々捕捉してゆくのは今夜の水雷攻撃の成否にかかっており、さらに明日の第二日目の決戦にかかっていた。
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