〜 〜 『 寅 の 読 書 室  Part W-U』 〜 〜
── 坂 の 上 の 雲 ──
(八)
 

2015/08/31 (月) 

死 闘 (十五)

多分に偶然ながら東郷と上村による連携態勢が成立したのは、午後三時五十八分である。
「七千メートルですね」
と、三笠の艦橋上で砲術長の安保少佐が言った。
わずか三分後に、五百メートルにちぢまった。この六千五百メートルの射距離で、三笠以下の戦艦戦隊の右舷の砲門が轟然と火を噴きあげた。
上村の巡洋艦戦隊はその左前方に出て敵を包むようにして射撃を開始した。
ロシアの戦艦群はもはや艦隊のてい をなさず、四分五裂した。
三笠はさらに接近し、ついには二千メートルという信じがたいほどの距離にまで近づき、火砲だけでなく魚雷まで発射した。
やがてロシア側は堪えきれずしてふたたび北方へのがれるような形勢を示した。この修羅場から脱出するための偽針路であった。
「ことごとく沈めよ」
というのが、東郷に課せられて戦略的要請であった。
日没までの時間は多くはない。ロシア側は日没の来るのを頼み、それまで持ちこたえるために針路を転々とさせて遁れようとした。東郷はどうあってもこれをやく さねばならない。以後、東郷はサーカスのようにめまぐるしい艦隊運動を繰り返すのである。
たとえば、午後四時三十五分、東郷は信号を掲げて艦隊に対し左八点一斉回頭を命じ、あざやかに横陣をつくってみせた。東郷は北に向かって進んだ。
ところがロシア側はこれをまく・・ ように逆に南へ走った。東郷はすかさず右八点の一斉回頭を行い、単縦陣にもどった。南進した。厳密には南東微東に針路をとった。陽は傾いている。
敵にとって都合のいいことに、煙霧がいよいよ濃くなってきた。ロシア側の艦隊が、一艦々々白色の水蒸気のかなたに消えはじめた。ときに午後四時四十分すぎである。
「水雷を出しましょう」
と、真之は参謀長の加藤にささやいた。敵の主力をいた めつけて戦闘力を失わせたあと、駆逐艦を繰り出して魚雷による肉薄攻撃をやらせて撃沈するというのが真之の立案した戦法であった。むろん攻撃は夜間までつづき、終夜襲いつづける。よかろう、と加藤はうなずいた。
「駆逐隊・艇隊は、極力敵を襲撃せよ」
ちう信号が 「三笠」 のマストにあがった。
この海域に出ていた日本のこの種の肉薄用の戦力は、駆逐艦が二十一隻、水雷艇が約四十隻であった。彼らは主力決戦が行われている間は戦場の外縁で風浪とたたかいながら待機していた。彼らは動きだした。むろんこの刺客のような艦艇群は陽のあるうちには肉薄しない。日没とともに敵艦を見つけ次第、それへ抱きつくようにして接近し、魚雷を放つのである。重装甲の戦艦を沈めるには砲弾をいかに集中しても困難で、水線下に魚雷をぶち当てることによってそれが可能とされていた。
この間、旧式装甲艦や小型巡洋艦で構成されている第三艦隊は主として敵の似たような艦種をねらってこれを攻撃しつつあった。
東郷、上村の主力艦隊はこのあと何度か敵を見失い、あるいは発見し、戦闘をくり返していたが、午後七時十分、ついに日没に近づいたため、発砲を停止した。主力による昼間戦闘から、駆逐艦や水雷艇による夜戦に切り替えられた。すべてプログラムどおりに戦闘が進行した。

『坂の上の雲』 著:司馬遼太郎 ヨリ
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